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『ふぞろいの林檎たち』からのはじまり

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

自分とエンタメとの始まりは、思い起こすといくつかエピソードがあるのだが、
単純にテレビドラマを熱心に見た最初の記憶にある作品は『ふぞろいの林檎たち』だった。小学校高学年くらいらしい。22時からのドラマだった。
わが家のテレビは1階の居間にしかなかったから、この時間帯に見れるわけはなかった。
2人の兄と私の部屋は2階に二間あり、基本的には私が一人部屋、兄たちの受験の年だけは該当する人が一人部屋になったと記憶している。

2階には小さな白黒テレビがあった。本当に小さい、20㎝四方くらいのサイズのテレビで、アンテナを伸ばして調整しないと映りの悪い局もあったような。
金曜22時、その小さな白黒テレビで『ふぞろいの林檎たち』を見た。
大学生、嫁姑、劣等感、サークル、風俗、思い出すだけでも小学生にはピンポイントじゃあなさすぎるテーマがたくさん出て来た。
それを兄と一緒に見ていたのだったかは、どうにもうっすらしか覚えていないのだが、
とにかく見ていた。
見てはいけないものを見ている感覚もあったかもしれない。
台詞が妙にリアルだと思いながら見ていた。いや、それは嘘だ、リアルかどうかなど知らない時期だ。
だからすべては「そういう世界があるんだー」という興味だけで見ていた。
そしてなんとなく未来は明るいばかりではないことも感じていた気がする。

ドラマ『ふぞろいの林檎たち』は以後、パートⅣまで制作されたが、新シリーズが始まるたびに熱心に見ていた。
話題になるたびに、口にはあまり出さなかったけれど「私はこっそりパートⅠからみていたもんね」と自慢気だった。
「いとしのエリー」が流れるたびに、=『ふぞろいの林檎たち』のシーンやタイトルバックが頭に浮かんでいた。まあ、そういう人は多いだろう。

高校生くらいになると山田太一さんの小説を片っ端から読んだ。ドラマ化、映画化された作品の戯曲もいくつか読んだ。
幼い頃から「 」(カギカッコ好き)と公言している私の思う「  」の多くは、山田太一さんの書く台詞だった。

脚本家・山田太一さんが亡くなられた。
こんな風に作品との思い出を持っている人は日本全国にどれほどいるのだろう。
2階でこっそり白黒テレビで見て、なんとも言えない感情を抱いた小学生はどれほどいただろう。(きっといるだろうな)
訃報を知り、そんなことを考えた。

そうだ、もう一つあった。
ドラマ『ふぞろいの林檎たち』で、主演の仲手川良雄を演じたのは中井貴一さん。
顔の好みは全然違うけど、ずっと気になる俳優さんであり続けるのは、この作品が出会いだったことが一番の理由だと思っている。
そして三文字の苗字ってなんかいいよなって思い続けている理由も、この作品からだと思っている。