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変わってきた時代との出会い

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

大坂での出張取材を終え、駅に向かう途中のことだ。
公園を通った。縦(いや、横か?)に長い公園で、名を靭公園という。だ、だからか。

その公園の中央に円型のスペースがあった。噴水ではない。
ベビーカーを押す家族や、子どもの自転車をサポートする親御さんが見えた。
……と、それは銅像だった。
なぜ見間違えたかと言えば、色がついていたのだ。
洋服のシワも感じ、とてもリアルに見えた。

一緒にいたフォトグラファーと、「これ、夜に見たら怖いのでは?」
などと言いながら、銅像に近づいた。

小さい子どもに靴を履かせるサポートをしているように見えるそれは「姉」という作品名がついていた。

母ではなく、姉なのね。そうか、スカートのすそが地面につこうがなにしようが
妹のためにしてあげる姉、なのかな。

奥に見える親子は自転車を練習させている。タイトルは「初めての自転車」。
お父さん娘さんも、なんだか足が長いなぁ。

と、ここまで見てやはり色付きである斬新さにかなり気持ちが持って行かれた。
そしてこのサークルをぐるりと回って、最初に目に入った銅像のところへやってきた。


ブランケットの感じがなんだかとっても繊細でリアル。
そして近寄って作品名を見る。
姉、はじめての自転車と来て、これは家族でお散歩、みたいな名だろうか。


そこにはこう書いてあった。
「変わってきた 時代」

ほぉー、そうきたか!と思いながら、ぐるりと公園内を見回すと、そこには
「変わってきた 時代」が見えた。
銅像は当時「変わってきた」を象徴していたのだろう。乳母車というよりベビーカー。
親子で連れだっている光景には、生活のゆとりや夢ある未来が写し出されたのだろうか。

そして、今、目の前にした春まだ早い公園には、座り位置が高いがっしりとしたベビーカーと、そこに集うママさんたち。側には電動アシスト付き自転車が停められているいるのが見えた。
「変わってきた 時代」が見えた気がした。

あえてすぐ調べることはせず、仕事終わりのホッとした気持ちを抱えながら靭公園内を歩いて、地下鉄の駅へ向かった。

さて、一番初めの写真に今一度目を向けて欲しい。
右端に写っているのは銅像では、ない。おばあちゃんだ。
おばあちゃんは、シルバーカーを押しながらゆっくりと歩いていて、時折立ち止まっていた。
その人こそ変わってきた時代を認めて、受け入れてきた大先輩に見えた。