日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
保育園のそばを通ったら、園内からあの歌が聞こえてきた。
♪さいた~ さいた~ チューリップのはなが……
なんとものどかな気分になり、一瞬歩みを止めた。
次の瞬間、自分の行動がマンガとかドラマの中のお年寄りの動きみたいで
驚いて笑ってしまった。
お年寄りの動きみたいに思ったことこそが、了見が狭いというか、ステレオタイプのような気もして、また自分に驚いて笑ってしまう。
こうやって人は年齢を意識していくものなのだろうか。
いや、チューリップの話だ。
今年はわが家の庭にもチューリップが咲いた。冬のうちに直植えした10個の球根は、
色が数種類入っているものを選んでいたので、
歌詞の通り、♪あか しろ きいろ~ と咲いたのだ。ピンクも咲いた。
相変わらず、庭は無残なほどに雑草たちが自由に振る舞っているので、
咲いたらカットして、部屋の中に飾った。
そういえば、庭にのそのそ出て、1~2本花を摘んで家に入るのも、マンガとかドラマの中のお年寄りの動きみたいだった気がする。
こうやって人は年齢を意識していくものなのだろうか。ちょっと怖い。
チューリップと言えば、近所にいつも玄関先の花壇をすばらしく整えているお宅がある。
ご主人が手入れをされているようで、幅1メートル程度の花壇に季節の花が必ずきれいに咲いている。
今年は背の低い黄色いチューリップがにぎやかに咲いていた。
「わぁ、きれいだね。春って感じだね」
夫とその家の前を通った時に思わず言葉が出るほどだった。
本当にこのお宅は花壇のお手入れ徹底しているね、と。
それから2日くらい経過しただろうか。出かけにそのお宅の前を通ると、
黄色いチューリップの花弁が一斉に開き、ふわりとほんの少しだけ反りを見せていた。
ああ、もうそろそろ終わりだなぁと思った。
花の命は短いのよねぇ、と。
用事を済ませて戻ると、花壇の黄色いチューリップはすべてなくなっていた。
そして、花壇の土は掘り起こされ、ガレージで天日干しされていた。
完璧な栽培計画、花壇計画が出来ているのだろう。何年も何年も。
天気との兼ね合いもあるだろうけれど、その緻密さと潔さに私は少し参ってしまう。
黄色いチューリップをもうあとほんの少し、楽しみたかったなぁ。
花弁が少し反る感じもまたキュートだったりするのよね。
全く勝手で余計なお世話なのだが、そう思ってしまったのは、
え、これもお年寄り的思考だったりするのだろうか……。
翌日には新しく水色の可愛らしい花が植えられていた。
少し涼し気で、前を通るだけで嬉しくなる。
つまり、そういうことなんだろうな、とわかりつつ、
庭から摘んで、花弁を豪快に広げ、今にもはらりと落ちそうなわが家のチューリップに目をやった。
赤のチューリップの後は、黄色と白のチューリップを飾ろう。
それがわが家というか、私らしいんだ、きっと。