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あの頃、小さいけれどお祭りがあった

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

スウェーデンの大自然をバックに開かれる夏まつりとスケールがだいぶ異なる、わが実家の町内会のお祭りの話も少しした。
第二次ベビーブームに生まれた私の子ども時代は、学校のクラス数も多く、地域では町内会ごとにお祭りがあった。

同じ学区内に4つか5つくらいの町内会やコミュニティがあって、夏休みとなれば週末ごとにどこかでお祭りが開かれていた。
神輿が出たり、縁日が出たり、盆踊りがあったり、規模もいろいろだったけれど、
小学生は自分の町内会以外のお祭りをしている公園や広場に出向いたりしていた。対談の中でも書いたように、私の実家がある町内会は規模の小さなコミュニティだった。
それでも熱心なお祭り大好きおじさんたちが毎年、祭りが近づくと張り切って準備してくれていた。

神輿や山車もあったが、そもそも町内に神社があるというわけではないので、神事としてではなく、完全に夏のイベントして存在していた。
場面として覚えているのは、町内を練り歩く山車を引く時に、坂道で大人が体重をかけてブレーキをかけている場面。高学年になっていくと、小さい時から体が大きかったこともあり、山車の後方を陣取り、大人に混じってブレーキ係をしたりした。

細くうねうねした住宅街を練り歩き、戻るとスイカやおにぎりが振る舞われ、子ども以上に大人が楽しそうにしているなぁと感じていたりした。

縁日も出たが、他の町会はテキ屋が来ていわゆる屋台を組んで出店していたが、わが町会は違った。縁日を担当するのは町内会のおじさん、おばさん。
代金は金券制だった。10円玉のようなデザインの金券を10円×30枚(300円を一口)として事前購入しておき、当日はその金券でやりとりする。
買い物ごっこの体である。

実家の車庫は射的場、スーパーボールすくいや、くじもあった。
一番人気は焼き鳥。道端にブロックを重ねて焼き場が簡易で作られた。そこで炭火で焼くのは、町内会の本物の焼き鳥やさん。一番人気なのは、間違いなく美味しかったから。
斜め向かいのおじさんが張り切って鉄板で作る焼きそばも人気だった。

そんなこじんまりとしたスタイルのお祭りだったから、町会外のクラスメートが来ることはなかった。
踊りを習っていた母は、盆踊りの輪に必ずいて、お手本の踊り手の一人だった。母の後ろに列がつながる感じが子ども心に嬉しいような、少し恥ずかしいような気がしていた。
炭坑節、東京音頭、ドラえもん音頭、北海盆歌、船橋手拍子音頭、
時間にするとどれくらいだったのだろう。子どもが和太鼓にチャレンジしたりもしていて、
ローカルだけれどオリジナリティもあった。

なぜこんなに鮮明に憶えているのかは不思議だが、とにかく家の目の前が町会館で、夏まつりの2日間は朝から祭りばやしが鳴り続け、祭りにまつわる音や声で、家の中でも会話が成り立たないほどだったのだ。

やがて祭りは1日になり、盆踊りはなくなり、夜店はなくなり……と衰退していった。
子どもが少なくなり、お祭りおじさんたちも歳をとっていった。
町内会の夏まつり自体が完全になくなったと母から聞いた時には、もう大人になっていたけれど、やはり少し悲しかったことを覚えている。

今年の夏、近所の児童公園で開催されていた夏まつりをのぞきに行った。
たくさんの人が集まり、屋台はどこも長蛇の列。盆踊りは流れていたけれど、踊りの輪は出来ていなかった。
イカ焼きに心を惹かれながらも、列に並ぶ気力はなくて、公園を通り抜けすぐに家に戻ったが、
キラキラわくわく楽しんでいる子どもたちがたくさんいる様子が見られて、
町内会のお祭りに気持ちがふんわりした、そんな夏の夜だった。