クリッセイ

いつもは、いつもは

日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

初詣に行ってきた。
なぜ今頃か?といえば、それはコチラで書いた通り

旧正月も明け、ご祈祷する人はさほどいないだろうと、午後になってから参詣した。
一昨年までは社殿に入る際には、マスクを外すように言われていた。
昨年からは、マスクは必須、おみごろもは簡易な紙となり、持ち帰るよう指示される。

あの正月に使われていたかなりの数のおみごろもは、保管されているのだろうけれど、
使われなくとも風を通したり、湿気に気を付けたりしながらお手入れはせねばならないよなと思ったりする。
そういうことも神社内でのスケジュールとして組み込まれているのだろうか。
郵送での祈祷受付も今年は特に多いだろうから、
例年通りではいかないことが増えているに違いない。

祈祷の受付を済ませ、控室でしばし待つ。
私たちのご祈祷回は、私たち夫婦プラスお一人しかいなかった。
たった3人でもいつもと同じ手順通りのご祈祷で、お神楽奉納もある。
なんだかありがたくて、頭を下げる際、いつもより少し深めに下げた。

いつもは名を読み上げるだけでもかなりの時間を費やすから、その分ご祈祷自体はコンパクト。
いつもはご祈祷の神札を乗せた三宝が重そうで、腕がプルプルしそうなんて思っていたが、
今日はそれも大丈夫。

こうして、いつもは、いつもは、という見方ばかりついしてしまうのは、仕方のないことだろうか。
いつもと変わらなかったのは、サロンロビーの金屏風前の生け花が華やかで立派だったこと。
三が日ならいつもはここで、筝の生演奏があるんだよなとまた思ったり。
あ、やっぱり「いつもは」って言っちゃうな。