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Vol.22『習静』―静けさを習うことで、暮らしが整う。

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夜、髪を洗う時間が、作業からケアの時間に変わった。
長く髪を切ってもらっているヘアスタイリストさんとの何気ない会話がきっかけだった。
年齢が顔に出てくるお年頃な私。「近頃、たるみや皺が気になるんだよね」と話したとき、
「髪の洗い方で変わることもありますよ」と教えてもらったのだ。

それまで私は、何の疑問もなく、頭を下げて後頭部からシャワーをかけて洗っていた。
猫背になって下を向いている姿、そして下を向いた顔の真下に鏡があり、
その鏡に映る顔を思い浮かべると、それだけで上を向きたくなる。
そのイメージは強烈で、その日から、顔を上げて、おでこの上の方からシャワーをかけるようにした。
顔を引き上げるように髪を洗う――ただそれだけなのに、
洗いながら背筋が伸び、気持ちまで少し上向く。

無意識にしていたことを、意識して変える。
たったそれだけのことでも、結果が変わる。
毎日の習慣が、作業から心を整える時間になるなら、こんなにうれしいことはない。

最近、「習静(しゅうせい)」という言葉を知った。
“静けさを習う”という意味の禅語だという。
静かであることを学ぶのではなく、静けさを日々の習慣として身につける。
心を鎮めることを、繰り返し続けることで自然な状態にしていく。
暮らしの中で「動の中に静を見出す」ことなのだと思う。

家が片づいている人は、やはり日々の習慣が違う。
買い物のときから「これは本当に必要か」と立ち止まって考える。
モノを増やさない工夫も、片づけの技術ではなく“静かな習慣”のひとつだ。
慌ただしい日常の中で、心がざわつかないように整える――
それもまた、暮らしの「習静」。

『習静』―静けさを習うことで、暮らしが整う。

髪を洗う時間は、私の中でまぎれもなく静かで心が整う時間になった。
「なりたい自分」や「心地よい暮らし」は、特別な行動からではなく、
静かに続ける、日々の小さな積み重ねから生まれる。
たとえば、髪を洗う5分間にも、そんな時間がある。
動きながらも静を保ち、静を習い続ける。
それが私の暮らしの整え方であり、これからも続けていきたい習慣。

書・文・松杏
子供の頃から文字を書くのが好き。小学生で習っていた書道を40歳過ぎて再開。文字の美しさ、墨の表現力に魅了されている。
書と整理収納の共通点は余白とバランス。

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