近くの緑道を自転車で走っていると、フェンス越しにふわりと桃色の花が目に入る。
まだ少し冷たい風に揺れるその花を見上げると、春が静かに広がっていくようで、思わず足を止めた。
春と言えば、桃や桜。やわらかなピンクの花が咲くと、見ているだけで気持ちもふわっと軽やかになる。
ピンクの花は可憐で好きだ。
けれど、自分が選ぶもの、身に着けるものとしては、これまでほとんど手に取ることがなかった。
その理由は、子ども時代にさかのぼる。
長女の私と弟たち二人。何かを買ってもらうときは、おそろいで色違いになることが多かった。
そのとき、私に渡されるのは決まってピンクや赤だった。
夏のはじまりに買ってもらったタオルケットもそうだった。
弟たちは水色や黄色、私は可愛らしいピンク。
ふわふわとした肌ざわりは好きだったのに、「女の子だから」という理由でだけで決められたその色に、気持ちか引っかかる…。
自分で選んだわけではない色。
押し付けられた「女の子はピンク」という当たり前。
その小さな違和感が積み重なって、私はいつの間にかピンクを遠ざけるようになっていた
けれど、この頃は様子が違う。
今年の初め、母の衣類を整理したときのこと。
一緒に手伝ってくれた、ファッションにも造詣の深い仕事仲間が、私に似合うものを選んでくれた。
その中に、ピンクのブラウスやニット、カーディガンが含まれていた。
「似合うと思うよ」
そう言われて手に取ったピンクは、以前ほどの抵抗感はなく、可愛らしいけれど、でも凛としていて、そっと背中を押してくれるような色に感じる。
他にも、母が気に入って使っていたエコバッグを、父や弟は使わないだろうからと、私がもらってきた。
それもまた、ピンク。
母は、きれいな色が好きで、ためらいなくピンクを選ぶ人だった。
その姿を、私は「また、そんな色?!」と少し距離を置いて見ていたのかもしれない。
けれど今、同じ色を手にしている自分がいる。
『桃始笑』
ももはじめてわらう(さく)。
七十二候のひとつ。3月10日から14日頃、花が咲くことを「笑う」と表現した言葉だという。
花が咲くのを見て、ふと笑みがこぼれるように。
母の好きだったピンクに触れるたび、母を感じる。どこかで「ピンクもいいでしょ?!似合うんだから着たらいいのに。」と母が笑っているような気がする。
ピンクを受け入れることは、どこかで、母の選んできたものや、母そのものを受け入れることかもしれない。
少し前、自分で選んで買ったステンレスタンブラーは、キラキラとしたピンク色だった。
春の夕暮れ時を思わせるような、そのやわらかな色が、どこか懐かしく、あたたかく感じられた。
気がつけば、私はもう、ピンクを遠ざけてはいなかった。今年の桜はまた違って見えそうだ。
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