私のアンフォゲ飯 PR

何味かは思い出せない、ほろ苦くて甘い思い出のガム

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誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。

今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、一緒に観劇して感想をシェアする「フィーチャー」にも度々ご登場いただいている、整理収納アドバイザーの先輩、大法まみさん。旅先から帰る新幹線の中で忘れられない味!? についてお話いただきました。

-- アンフォゲだけど「飯」ではないという、大法さん(以下、のりさん)の忘れられない味について聞かせてください。
大法 小学校入学のタイミングで横浜から世田谷に引越してきて、区立の小学校に入学しました。小学校1年生の私は、猪突猛進、やりたいことや興味があることにはまっしぐらで一生懸命になる、どちらかというとムラのある子どもでした。
そんな私、「こくぼまみ」の1年3組の担任は、女池(めいけ)先生という若い男の先生でした。まだ新卒か、教師歴2~3年のキャリアだったと思います。先生はとても熱心で、連絡帳や日記には、いつもきれいな字でたくさんコメントを書いてくれる方でした。赤ペンで流れるような文字で。背も高くてカッコ良かったですよ!

-- 初めての学校生活、担任の先生との相性はとても重要ですよね。さて、どんなことが起きたのでしょう?
大法 学校生活が始まった最初の頃でした。国語かなにかの授業だったと思います。当時から背は高い方でしたが、なぜか私の席は一番前。私は何も知らず、学校でもお菓子を食べていいと思っていて、ガムを噛んだまま授業に臨んでいたんです。

-- えっ、ガムを? それはお家から噛んでいたってことですか?
大法 たぶんそうだと思います。途中で包み紙を剥いて食べたわけではないと思うので。だからきっと1時間目の授業だったんでしょう。

-- 気になりすぎます。どんなガムだったか覚えていますか?
大法 
板ガムですね。今はガムなんてまったく噛みませんけど、当時ガムといえば板ガムが主流。ペンギン印のミントガムとかあったでしょ? でも何味だったかが思い出せないの。子どもだからスペアミントとかではなかったと思うんだよなぁ。

-- レモン味のクイッククエンチとか、梅ガムとかありましたよね?
大法 いやぁ、年代的にそれよりもっと前だと思うんだよね。1970年代に売ってたガムだから、フルーツガムとかだったような。
それを噛んでいた私に、先生が「あれ?」って言って、「ちょっと口の中を見せて」と言われたんです。それで、これはもしかして学校でお菓子を食べてはいけないのか! と初めて気づいた。そしてとっさに舌の下にガムを隠して、口を開けて見せました。
後から思えば、そんなことをしてもきっと口を開ければ、ガムがはみ出て見えたと思います。でもM先生は、私が隠したのを見て、悪いことだとわかったんだな……と思ったのでしょう。
「あれぇ、何もないね。気のせいかな」という感じでスルーしてくれて、そのまま授業を続けたんです。

-- 皆の前でいさめたり、嫌味っぽく教室ではお菓子を食べてはいけませんよ、とか言うのではなく、やり過ごしてくれたんですね。
大法 だから私は休み時間に急いで紙にガムを包んで捨てました。
そのエピソードに限らず、先生は子どもらしさを大切にしてくれる方で、宿題も楽しい課題ばかりでした。

-- なにか記憶しているものはありますか?
大法 
お父さん、お母さんに物語を話してもらって、その内容を作文に書く……という宿題があったことを憶えています。私は母が話してくれた「わらしべ長者」を小1ながら結構な大作に書き上げて、そのことをすごく褒めてもらいました。だから国語も学校も嫌いにならなかった。

-- 言葉を手がけるコピーライターのお仕事や、言葉で伝える講師のお仕事など、今の大法さんにつながっていますね。
大法 はっきり言ってちょっとはみ出している子どもだったんです。幼稚園の時にはみんなでするお遊戯をしたくないと拒否してブランコを乗りにいっちゃうようなこともありました。だから母はとても心配していたみたいです。その心配をよそに、小学校にあがって楽しく授業を受けたりできるようになったのは担任の女池先生のおかげでした。
特にこのガムのエピソードは強烈に憶えています。

-- その後、先生との交流は続いたのでしょうか?
大法 ある日、先生のお宅に呼ばれて遊びに行ったことがありました。先生のご家族とご飯を食べて、犬と遊んで楽しい一日を過ごし、帰りは母に迎えに来てもらった、そんなことがありました。

-- 今じゃなかなかありえないエピソードですね。
大法 ありえないでしょ。呼ばれたのは私一人でした。先生が大好きだったから、嬉しくてそれはそれは楽しみに遊びに行きましたね。

-- 先生のお宅で何を食べたか、憶えていますか?
大法 それが残念ながら憶えていないんですー。大皿料理みたいなものがたくさん並んでいたと思います。とてもはっきり憶えているのは、先生の家には大きな犬がいて、その犬に「待て」をしている時に、「あの犬が約束を守って、ご飯を食べないか見ていようね」と先生と一緒に少し離れた車の陰からその様子を見ていたこと。お利口な犬だったから「わー、ちゃんと食べないね、えらいね」と、先生と盛り上がったの。大きい犬は、コリー犬だったかなぁ。

-- まさかの犬の飯が出てきましたよ。でも先生の横で嬉しそうにしている「まみ少女」の笑顔を想像しちゃいます。
大法 先生と将来結婚したい!って思うくらい大好きで、だから何かの時に「早く大人になりたいです」って書いたことも記憶してる。先生は「今の子どもらしいところがとってもいいのに、どうして早く大人になりたいの?」ってお返事を書いてきて。でも先生と結婚したいからという理由は言わなかった(笑)。
私が高学年になった頃も同じ小学校にいた先生は、その後、同僚の素敵な女の先生と結婚されました。その頃はもう「よかったねー、おめでとう」という気持ちでした。

-- 先生はきっと大人気の先生だったのだと思いますが、そのほかにも小学校時代に印象的だったことや学びはありましたか?
大法 世田谷の普通の区立小学校で、1学年は3クラス。1年から2年にあがる時にクラス替えがあった以降は、一度もクラス替えがなかったというのが、ちょっと変わっていたかもしれません。

ところで、忘れられない・アンフォゲ飯はガムとのこと。味はやはり思い出せそうにないでしょうか? ガムにまつわる思い出でもOKです。
大法 
あの頃販売していたガムを調べてみると、うーんやっぱりフルーツ味の板ガムだったかなぁ? ガムを食べなくなったのは、大学生くらいの頃。そういえばその頃、夜中に西武新宿駅の辺りを、飲んだ帰りに一人で歩いていたらおじさんが「すみません、ガム食べませんか?」ってナンパしてきたんです。
「食べません、私、ガム嫌いです!!」って言って断ったこともすごくよく憶えています。私があまりにもきっぱりはっきりガムが嫌いだと言ったからおじさんヘンな顔してました(笑)。

やっぱりガムの思い出は、担任の先生との思い出だけを大切にしたいですね! 先生とは小学校を卒業した後も、季節の便りなど交流を続けられたのでしょうか。
大法 
大人になってふとした時に、先生のお名前で検索したところ、お亡くなりになっていたことを知りました。もう一度会えたらよかったな。
そういえば、同じ小学校の卒業生が、女池先生との思い出を記したblogを見つけて読んだことがあります。先生のお宅に遊びに行った時の思い出話が載ってました。私だけが呼ばれたと思っていたけれど、先生はたくさんの生徒を自宅に招いていたみたいです。よき時代のよき思い出です。

先生宅でのりさんが何をご馳走になったのかは謎に包まれたまま。もしかしたら同級生の中に、そのアンフォゲ飯エピソードを持っている方がいるかも!? もし記憶がよみがえることがあれば、追記しますのでぜひ教えてください。
素敵な先生とのエピソード、ありがとうございました。

イラスト/Miho Nagai

大法 まみ(Mami Onori)さん

広告分野で20余年、プランナー兼コピーライターとして活動。また、整理収納アドバイザーとして、「誰にでも」「今日からすぐに」始められる、易しい整理学の確立と普及に尽力。全国の企業・学校等において、参加者を元気にする「物と心の整理」に関する講演を数多く行う。プライベートでは一男一女の母。徳山藩士・増野助三の曾孫。趣味は仏像鑑賞、日本の名湯探訪、歌(ゴスペル・鼻歌ほか)。2019年に日本音楽療法学会認定音楽療法士の資格を取得し、音楽療法を広める活動もライフワークのひとつとしている。著書に「子どもを伸ばす片づけテクニック 頭がよくなる整理術」(主婦と生活社/2015)がある。

整理収納アドバイザー 大法まみOfficial Site 頭がよくなる整理術

 

 






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