誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。
今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、ルームスタイリスト協会 代表理事で整理収納アドバイザーの三ツ井さくらさん。若くして亡くなられたお母様の料理と今も大切にする思い出の一冊についてお話しをうかがいました。
-- さくらさんの忘れられない味、食べものについて教えてください。
三ツ井 アンフォゲ飯で真っ先に思いつくのは、亡き母の手料理です。料亭や居酒屋のメニューで人気の「揚げ出し豆腐」。それの豆腐がいわゆる普通のお豆腐じゃなくて高野豆腐で作った「揚げ出し高野豆腐」です。
母は料理上手で、食べることが大好きな人でした。煮物やおいなりさん、肉じゃがなどをよく作っていましたね。父は母の作る料理が大好きで、どれも美味しいおいしいと喜んで食べていましたが、子どもだった私は、大人の味付けがどちらかというと苦手。煮物は具が大きめだったし、子どもの頃はまだあの美味しさってわからないですよね。特に母が好んで作っていた高野豆腐の煮物は美味しいと思えなかったんです。
-- たしかに、高野豆腐が美味しいと感じられたのって大人になってからだった気がします。
三ツ井 そうですよね。スカスカして何が美味しいかわからなかった(笑)。でも母が高野豆腐に片栗粉をまぶして、甘辛く煮てくれたのを食べた時に、周りはトゥルトゥルして、噛むとジュワッと出汁が出てくるその料理がとっても美味しくて……。揚げ出し豆腐よりは醤油の味が濃い目だったと思います。とにかくあのトゥルトゥル、ジュワーッが忘れられません。子どもの頃に作り方を教えてもらったわけではないのですが、大人になってから、探り探り作ってみたら再現できました。
レシピは、
①湯戻しした高野豆腐をキュッと絞る
②①に片栗粉をまぶして、一度油で揚げる
③②に出汁、砂糖、醤油、みりんで甘辛くコーディング
-- まだ味の想像がはっきりとはつきません。食べた時の擬音で教えてください。
三ツ井 …………、トゥルン、ムシュって感じかなぁ。私は小さな高野豆腐で作りましたが、母はよくあるあの大きなサイズの高野豆腐で作っていました。衣がしっかりついているからトゥルトゥル感があって、とにかく好きでした。
-- その揚げ出し高野豆腐は、さくらさん以外のご家族もお好きだったのですか?
三ツ井 えーっと……、ほかの人は知りません(笑)。先ほども言った通り、父は母の料理が大好きで、外食にもほとんど連れて行ってくれることはありませんでした。その母は私が小学3年生の頃に胃がんが発覚して、入退院を繰り返す生活でした。4年生になると家事は私の役目になり、見よう見真似で父と兄のために料理を作るようになったんです。レシピを教えてもらうということはなかったので、あの味を再現できたのは、私が大人になって家庭を持ってからでした。母は岡山県出身、父は大阪府出身でした。その揚げ出し高野豆腐は郷土料理などではなく、母がテレビか料理本で知って作ったようです。
-- お母様はどのような方でしたか?
三ツ井 基本的に明るくて、家が大好きな人でした。故郷の近くに家を建てて、庭の周囲にはサクラやウメなどたくさんの植栽をし、庭の野菜畑でキュウリを育てたり、自然に囲まれる暮らしを楽しんだ人でした。ヨモギを摘んでヨモギ餅を作って食べたり、子どもの私がそんなに喜んでいなくても「いいの、私が好きだから!」と、作ることも食べることも楽しんでいましたね。明るくて、歌が好きで、そして仕事柄、どんなに早くても朝からお化粧をしっかりしていました。わが家は父も母も化粧品会社に勤めていたので、それは徹底していましたね。きれいにしている母は好きでしたが、母が幼稚園のお弁当で作ってくれるおにぎりが、化粧クリームの味がするのが嫌だった…。化粧をした後の手で握っていて、あの頃はラップで握るなんて習慣はなかったですから。母にそれは伝えて「ごめん、お化粧するより先に握るね」ってそういう会話をした記憶があります。
-- お母様との貴重な思い出ですね。そのほかの思い出もぜひ教えてください。
三ツ井 母の好きが詰まった家が建ったのが、病気が発覚した頃で、実際に母がそこで暮らしたのはわずか3年ほどでした。父は当時、和歌山に単身赴任していましたが、母の病気が発覚した後、転属を願い出て岡山で共に過ごしました。子どもだった私たち兄妹はもちろん、母も自分の病気のことは知らされませんでした。
自宅は私が通っていた小学校の目と鼻の先で、上の階の教室からは母が庭に水を撒いているのが見えるくらいの近さでした。ソフトボール部の朝練の時に母がチームメイト分のパンケーキと麦茶を差し入れてくれて、みんなが喜んでくれたのもすごく記憶に残っています。
-- 先ほど、小学生の頃からさくらさんが家事を担当したと言われていました。お手伝いというレベルではないから大変だったのでは?
三ツ井 母が体調が悪くなり、祖母が手伝いに来てくれていた時期もありました。ゆっくり家事を教えてもらうという機会はなかったですし、晩年は体調が悪いためにイライラすることも多かったので、なんで怒られなくちゃいけないの! と悲しく思ったりしていましたね。今となれば母がしんどかった理由が痛いほど想像できますが。
でも母は入院する時に私に一冊の絵本をプレゼントしてくれたんです。「お母さんのいない夜」(文 碧海酉癸・五味恭子・松田直子/絵 落合稜子・田中恒子)
という、こどものりょうりえほんの人気シリーズで、復刻版も発刊されています。
実はこの絵本、引越しを繰り返しているうちに失くしてしまっていたんですが、後にネットで検索してその本を持っている方にお譲りいただけないかメッセージを送ったら、「そういうご事情なら差し上げます」と気持ちよく譲ってくださったんです。
この絵本には、ピザトーストやミネストローネなど、子どもにも出来る定番メニューの作り方がかわいい絵と共に紹介されていて、今でいうレシピ本ですね。小4の頃に買ってもらって、タイトル通り、母がいない夜に作りました。そこに掲載されているメニューは全部作ったんじゃないかな。
-- その絵本の中のメニューで一番初めに作ったもの、覚えていますか?
三ツ井 ピザトーストです。食パンにハムとチーズをのせて、マヨネーズでのの字を書いてトースターで焼く。マヨネーズがこんがり焼けておいしいというシンプルなこれは、結婚後、息子が小さい頃に作ってあげたら喜んで食べてくれたメニューで、よく「とろーり作って!!」とリクエストされていました。今でもたまに作りますよ。
-- お母様は残念ながら、かなり若くして亡くなられたとのこと。
三ツ井 40歳でした。私が小学校を卒業する年の秋から長期入院となり、中学1年生の夏には、家から1時間以上かかる距離のところにある病院に私も泊まり込んで一緒に時間を過ごしました。10月、一人でお見舞いに行った日に、「遅くなるから帰りなさい」と言ったのが母の最期の言葉でした。悲しい別れを経験しましたが、家が大好きだった母の思いが、今の暮らしや仕事に通じているのかもしれないなと感じています。
あれから「揚げ出し高野豆腐」は久しく作っていませんが、好きに囲まれた家で、母との思い出のメニューや、「お母さんのいない夜」の中のメニューを作ろうかなって思います。
さくらさんのお宅で大切にされている思い出の絵本-- 偶然ですが今月はお母様が亡くなられた月だそうですね。周りがトゥルンとした高野豆腐の揚げ出し、チャレンジしてみたいと思います。
イラスト/Miho Nagai
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