誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。
今回の私のアンフォゲ飯は特別編。インタビュー形式ではありませんが、お読みいただければ幸いです。
2025年の最後の月に、義兄が旅立った。
葬儀の後、火葬を待つ間の精進落としの場でのことである。
私は義姉に聞いた。「お義兄さんの好物って何でしたか?」
実は食事をご一緒したことがあったのは結婚以来、一度きりだった。
それもだいぶ前のことで、その時の主役は義母だったのでお義兄さんの好物はもちろん、個人的なことを話す機会はなかったのだ。
「うーん、なんだろう……」義姉はすぐに思いつかないと言った。
病気をされてからは食事をもりもり食べれることも少なかったろうから、それも無理はないのかもしれない。
私はなんとなく沈黙を恐れずに答えを待った。すると、
「あれは好きだったわね、食事じゃないけど、歌舞伎揚」
それを聞いた瞬間、とても驚き、不謹慎かもしれないけれどとても嬉しくなった。
何故かと言えば、夫も「歌舞伎揚」が好きでよく買ってきていたことがあったから。
そしてもっと言えば、義母も「歌舞伎揚」を買い出しておくと、ペロリと平らげていたから。
「歌舞伎揚」は言わずと知れた天乃屋の揚げ煎餅。
天乃屋のホームページに書かれた沿革を読むと、「歌舞伎揚」の開発が始まったのは昭和35年のことだそうだ。
ただの偶然ではあるが、昭和35年は亡くなった義兄が生まれた年だ。
あの甘じょっぱさと程よいボリュームの煎餅のファンは多い。
義兄は買い物に行くと、「歌舞伎揚」をよく自分用に購入していたそうだ。
義姉が続けた。
「あれも好きだったわね。ポテトチップス。買うのは決まって、湖池屋ののり塩」
それを聞いた瞬間、またまた驚き、不謹慎かもしれないけれどとても嬉しくなった。
何故かと言えば、夫も「ポテトチップス のり塩」が好きでよくよく買ってきていて、わが家の定番おやつだった。(理由あって現在はポテチ断ちしている)
味は同じく、のり塩一択。
「スーパーなんかで売ってる大袋のをたくさん買って、自分の棚にストックしてたもの。賞味期限切れの大袋がきっと残っていると思う」
ちょっと呆れた風に、でも少しだけ楽しそうに義姉は話した。
ちなみにわが家でよく買っていたのはコンビニバージョンの大袋。
湖池屋のポテトチップスのり塩味以外は、ほぼ食べたことがないと夫は言っていた。
ちなみに、湖池屋のホームページに書かれた沿革を読むと、「ポテトチップス のり塩」が発売されたのは、1962年だった。まあ、そうそう偶然はないけれど、
義兄と夫が生まれた中間くらいに発売開始された商品だったことがわかる。
もちろん、昭和40年代は今と比べて商品の味の種類などは断然少なかったろうし、選ぶというよりそれしかなかったのかもしれない。
でも、幼い頃に慣れ親しんだ味を大人になっても選んで、好んで食していたことがわかった。
些細なことだけれど兄弟の、親子の共通点。
男二人の兄弟が大人になってから「互いの好きなおやつ」を知ってることなど、どの家族でもほぼほぼないだろう。でも知っていたら生前、話がはずんだかもしれないな。
「洒落たお菓子より、結局、この定番がいいんでしょ!!」
そんな風に言って、菓子鉢にあの「歌舞伎揚」と「ポテトチップスのり塩」を出して、お茶を飲んだり、お酒を酌み交わしたり出来たらな。
義兄の好きだったお菓子が、この先も長く長く続きますように。
イラスト/Miho Nagai
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