拝啓、ステージの神様。 PR

わからない、わからないから、わかりたいミュージカル『VIOLET』

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ステージには神様がいるらしい。 だったら客席からも呼びかけてみたい。編集&ライターの栗原晶子が、観劇の入口と感激の出口をレビューします。
※レビュー内の役者名、敬称略
※ネタバレ含みます

やはりどうしても観てみたくて、ギリギリでチケットを取り、東京芸術劇場プレイハウスの前方端の席から観劇したミュージカル『VIOLET』。
あらすじは知っていたし、曲に聞き覚えもあったので、藤田俊太郎さん演出の『VIOLET』を今、観てどのような感情を抱くのか、興味があった。

舞台を観終わって、プログラムを購入した。
仕事柄、全てのプログラムを購入したい気持ちはある。でも実際は購入しないこともある。ではどんな時にプログラムを購入するのか。
たいていは、作品に感銘を受けた時とか、そもそも好きなキャストが出ている時とか、観ていたら気になるキャストが見つかった時、一度観ただけではわからなくて内容を補完したい時、などきっと理由はいろいろだ。
編集やライティングに関わる身としては、どんな理由でも手に取っていただきたいと思うわけなのだが、この日、観客として観劇後にプログラムを購入した理由は、

「わからない、わからないから、わかりたい」だった。
ストーリーはわかっていたのに、わからないとはどういうことだろう。
感情が揺さぶられなかったことに対して、あなた一体どうしちゃったの?と自分ツッコミを入れていた気がする。

いや、感情が揺さぶられないというのは違うかな。うっすら涙が出た記憶もあるし。
「わからない、わからないから、わかりたい」の思いでプログラムを購入し、一気にではなく、少しずつ少しずつ読んだ。

学生の頃からソウル、R&Bが好きで、若い時には熱心にアメリカでの黒人差別の問題や歴史、それらを扱った映画などを観た。
観ながら都度、「え、なんで?」「どうしてここまで?」と、本当にわかりやすく憤ったり、がっかりしたりしたことを憶えている。

それから長い年月が経過した。そして、
1964年、アメリカ南部ノースカロライナ州から、ある目的のためにオクラホマへ長距離バスに乗って出かける25歳の女性、ヴァイオレットが主人公のミュージカルを観たのだ。

この日は、三浦透子さん(Wキャストは屋比久知奈さんさん)がヴァイオレット役。
距離が近かったこともあるが、彼女はステージの上にとても自然体でいた。
台詞を聞いていると、ミュージカルであることをいい意味で忘れさせた。
ドラマや映画での彼女の印象が濃いからなのかはわからないが、ヴァイオレットが日本人でないことを実感できた。
それは何かなぁと思ったら、ちょっと海外ドラマの吹き替えのような感じ、だったかもしれない。

ブログラムを少しずつ読み進めていくと、この作品がどのように生まれてきたのか、作られてきたのかが見えてきた。
後で読む派なのだが、このプログラムは先に読んでおいたほうが良かったなと思う。
しかも開演直前とかではなく、ゆっくりゆっくり事前に読んでおきたかったなと。

なぜ観終わった時に「わからない、わからないから、わかりたい」と思ったのか。
それはテーマへの距離ではなく、作り手と受け手の距離だった気がする。
そこにとても距離があったように感じてしまったのだ。
あんなに近い席だったのに、あんなにパワフルな歌声だったのに、
子役さんも素晴らしかったし、樹里咲穂さんの二役もとてもよかった。
カンパニーの皆さんのチームワークの良さも伝わってきた。
ステージ上に座席が設けられ、そこで両サイドから観ている人たちもいる演出もあって、
そこに座っている方々も、作品を担う一部だった。

でも、受け手と作り手には温度感の違いがあった。
「わからない、わからないから、わかりたい」という思いは、多分解消されることはない。
でも、後日ゆっくりゆっくりプログラムを読んで、
こうして感じていたことをお蔵入りにせずに書き出したことでわかった。
この感覚こそが、アメリカのみならず、あらゆる社会に生じる差別や、無理解や、でもわかりたいと思う人の存在や、終わらない争いがある今、なのではないかと。

ヴァイオレットと同じ25歳で観たら、きっと景色はまた違って見えるはず。
作品をいつ観るか、どんな時に観るかによって感じ方がまったく違う。
そんなことはとっくに知っていたはずなのに。

拝啓、ステージの神様。
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