拝啓、ステージの神様。 PR

ピン止めされたんだ 『東京ゲゲゲイ歌劇団 vol.Ⅵ 破壊ロマンス』

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

ステージには神様がいるらしい。 だったら客席からも呼びかけてみたい。編集&ライターの栗原晶子が、観劇の入口と感激の出口をレビューします。
※レビュー内の役者名、敬称略
※ネタバレ含みます

おかしな書き出しかもしれないが、ここから。
カラになったステージに向かって、「東京」-「ゲゲゲイ」ととてもよく通る声でコールする声が響いた。前列の方のようだ。
「東京!」-「ゲゲゲイ!」、「東京!」-「ゲゲゲイ!」この声に合わせて、皆が「ゲゲゲイ」と言いながら手拍子をする。つまりアンコールを求めるコールだ。
「東京!」-「ゲゲゲイ!」、「東京!」-「ゲゲゲイ!」
もう息がつづかないよーーくらいなところで、「東京!」の声が変わった。お隣の方にバトンタッチしたみたいだ。「東京!」が一音くらいあがった。
そして続くコール。しばらくすると次の方にバトンタッチしまた「東京!」が一音くらいあがる。その思いのコールが強くてカッコいい。
「アンタたちも一緒に盛り上げなよ、何やってんだよ!」みたいな怒りとか歯がゆさは含まれていない感じがした。
そういうことじゃなくて、私たちはやりたくてやっているんだ、心から。
「だって声をあげずになんていられる?」 そういう潔さやカッコよさがあった。

後方からなんならちょっとノリは悪く見えてしまうだろう風に観ていた私は、
その潔さとかカッコよさに惚れ惚れしていた。
なぜそこから書き始めたのかといえば、つまりこれが全体に通っていたイズムとクオリティーみたいな気がしているからだ。

東京ゲゲゲイ歌劇団vol.Ⅵ『破壊ロマンス』@PARCO劇場。
東京ゲゲゲイのショーは初見だった。
いつものように事前に検索は殆どせず、一つか二つ上がっていた短い劇場での動画を覗いたくらいだった。

今公演は、MIKEY率いる東京ゲゲゲイがソロのプロジェクトになって初めての歌劇団公演。
オーディションを経て集まったアンサンブルダンサーと共に歌い、踊りつなぐショーだ。
「歌劇団」というネーミングにわかりやすく引っ張られていた私は、わかりやすいストーリーがベースにあるのではないかとどこかで思っていた。
しかし、1~2曲を聴く間、観る間に、そうではないことに気づく。
ストーリーは1曲の中にある。ストーリーはアーティストの中にある。ストーリーは観客それぞれの中にあるのだと。

照明と映像、衣装とダンス、そして圧倒的に独立したMIKEYの歌声。
初めに書いたアンコールを願う「東京!」-「ゲゲゲイ!」のコール同様、共感やわかりやすさなど安易に求めず、潔くあることがカッコいい。
それに気づいた気がして、ショーが終わるまで、私は拍手や手拍子を自分の軸で、自分の本能で反応し続けた。
そういう力を東京ゲゲゲイがくれている気がしたのだ。

サプライズもあったその日のショーが終わり、パンフレットを読みながら東京ゲゲゲイの最新アルバム『破壊ロマンス』を耳に流した。耳からドバドバ体に流した。
すると、PARCO劇場で観たシーンが眼前に驚くほど鮮明に見えた。
この現象はなんだろう。でもやけに嬉しくなる。
自分が観たもの、聴いたものは、スルッとすりぬけた1時間45分ではなく、
潔く、カッコよくピン止めされたんだな。キャッチしたんだなという不思議な満足感だ。

そしてつづけて『破壊ロマンス』の曲を耳に体にドバドバ流した。
そうすると曲によっては急に琴線に触れて胸がグイーっとなったりした。
それは中高生の頃に音楽を聴いて、歌詞の世界にどっぷり浸って、それが例えば不倫を歌った歌だなんて世間的に言われてたものでもおかまいなく「わかるー」とヘビロテしていた時の感覚に似ていた。
そういう不意をつかれる感じが面白い。

パンフレット内のアルバム『破壊ロマンス』の全曲解説の最後に、
歌劇団を観た後、アルバムを聴いたら面白い発見があるかも~~と書かれていた。

その通り、発見があった。ありまくりだった。
でも一つだけ残念に思っていることがある。
それは歌劇団を観る前に、アルバムを聴いていたらどんな発見と感情があるのかを今の段階では知り得ないということ。

馬鹿じゃない、めんどくさい、だったらもう一回観ればいいじゃん。
そうか、これが東京ゲゲゲイ歌劇団か。

公演パンフレット東京ゲゲゲイ毒本は1,000円。この一冊の中にMIKEYさんの名前、いくつ出てくるだろう。数えてはいない。でもものすごい数。そういうこと。
拝啓、ステージの神様。
↑過去記事はコチラから