日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
京都滞在、限られた時間で観に行くならどこか? と考え、庭園に焦点を当てて観光することにした今回。
庭園デザイナーの烏賀陽百合さんの著書で知った作庭家 重森三玲さんの庭を目当てに、朝から東福寺に向かった。
東福寺に行くなら、塔頭(たっちゅう)の光明院を見逃すなかれ!という情報を得てまずは光明院へ向かうことに。
塔頭とは大きなお寺の中の寺院、とくに禅寺では高僧の基所に建てられた塔、またその塔を守るための庵をいう。(日本大百科事典_ニッポニカより)
広大な敷地に建つ東福寺の日下門を右に折れ数分、光明院に着いた。
こじんまりとした入口から玄関で参拝料の300円を竹筒にチャリーンと入れて、そこから廊下の向こう、柱や戸の間からチラと見えた庭に、もうすばらしさの確信を得て、二人で大興奮した。
靴を脱いで庵に足を踏み入れ、廊下を静かに進んでいった次の瞬間、
目の前に美しい庭が開けた。
ハッと息を吸って、ハーッと大きく息を吐いた。
それほどすばらしかった。
試しにやってみて欲しい。ハッと息を吸って、ハーッと大きく息を吐く。
それが光明院の「波心庭」を見た私の率直な感想で、この時ばかりはどんな著名なヨガインストラクターさんの呼吸より素晴らしい呼吸だったと思える。
重森三玲さんが作庭したこの庭は平安式の州浜型庭園というのだそう。
白砂を海に見立て、そこに三尊岩組(さんそんいわぐみ)と立石が配されている。
三尊岩組は3つの石を三尊仏に見立てた岩組のこと。
そしてその背後にサツキやツツジ、竹の緑が鮮やかに広がっている。
スマホで写真をパシャパシャと撮った。
けれども全くといっていいほどそのすばらしさは撮りきれない。
私たちの目の前に広がる庭は、こんなものじゃなくて、
私たちの目の前に広がる庭に流れている清々しさは、まったく記録出来ていない。
後で画像を見返して、それを残念に思うかと言えば逆だった。
「あれはあの場で見なくてはわからないよね」
そう思って嬉しくなったのだ。
光明院の中は端から端までほとんど足を踏み入れることが出来たので、
横から、斜めから、上から、さまざまな角度から庭を見た。
廊下に腰を下ろしてゆっくりもした。
数組が立ち寄っていたけれど、誰も誰を邪魔しない、程よい距離感で庭を眺めた。
小さな部屋にも工夫があった。
階段を上がり、玄関までのアプローチに整えられていた庭が見える丸窓が開いていて、
ここを横から見たのがこれ。
この光明院を管理されているおば様がまた感じのいい方だった。
新緑のこの時期と、秋の紅葉の頃はとにかくすごい人なのだそうだが、
それでも時間帯でふと、人が途切れることがあるのが不思議だと笑っていた。
庭園めぐりはもう少しつづく。