誰かと一緒に観劇すると、共感が何倍にも膨らんだり、違った目線がプラスされます。
作品をフィーチャーしながら、ゲストと共にさまざまな目線でエンタメを楽しくご紹介します。
今回ご紹介する舞台作品は、NODA・MAP 第26回公演『兎、波を走る』です。
ご一緒したのは、このコーナーもほぼレギュラー、連載「ひつじのまなざし」でお馴染み整理収納収納アドバイザーのみのわ香波さん。
久々、待望のNODA・MAP観劇だというみのわさんと、予想はしていましたがガツンとやられながら作品を振り返りました。
※以下、作品のネタバレを含みます。
大事なことに蓋をしていないか
大事なものが見えにくくなっていないか
栗原 実はNODA・MAPはほぼ毎回観ているのだけれど、ある時からレビューを書けなくなっている自分がいたんですよね。なんかねいつもガツンとやられすぎてしまって……。
みのわ わかる気がします。今、その状態ですもん。自分はこれでいいのかな、曲がりなりにも何かを発信している身だけれど、発信すればいいってもんじゃないよな、みたいな。
栗原 そうなんだよねー。
みのわ でもすごくスビードを求められるし、新鮮さを求められるし、その波に乗っかるような風潮があると、それが是というか、それに飲み込まれちゃってる感じがする、いい大人なのに。
栗原 必ず先導(扇動)する人がいて、それは正義に見えるけど、だんだんその正義に溺れているように見えちゃって、そこには同調すまいみたいな気分になることは多いのだけど、自己判断で距離を取る。で、距離を取ったままなかったことになる、薄れていくみたいなことが多いような気がするよね。自分も含めて。「知ってるし」程度になっていて、でもそれって穴に隠して見えなかったことにしてしまってる、そういうことに気づかされる作品だった気がします。
みのわ 大事なことが見えにくくなっている気がして、劇中に何度もドキッ、ドキッって出てきたじゃないですか。ドキッとしていることをもっと大事にしなきゃいけないのに、自分の肌感覚じゃないところで、頭でっかちになっちゃって、そっちに引っ張られているような感じ。引っ張られているけどどこかでモヤッとしている気持ちは抱えたままなんですよね、結局。自分で蓋しているというか。
栗原 常にそのことを考えて生きていくことは現実的じゃないかもしれないけれど、かと言って放っていていいわけはないし。いざYesかNoかと問われた時にちゃんとYes!とかNo!と言える準備は出来てるのか? と突きつけられている気がした。
ひよってしまいそうな自分がいるのは、日ごろ考えてないからだぞと、まとまらないけれどなんだかすごくそれを思わされました。
みのわ 登場人物のチエホーフも、情報ばっかり頭でっかちになっているけど、中身ないみたいな。
栗原 チェーホフの芝居を観て、なんかわかった気になってる奴ら、『桜の園』を観てしたり顔で何か言ってる奴らも、中身ないことない?って言われているような気がして。
ChatGPTも上手くつきあってこそだよ! みたいにしたり顔で言ってるけど、使いこなせている気になっているけど流されてるだけだよ、みたいなね。
みのわ 逆に使われていたり、操られていたりね。
栗原 たとえそういうものを使ったとしてもちゃんと結論を自分で書けるのか? と言われている感じもあって、結末を考えたり、想像したりしていなければそれは偽物というか、無きものなんだよなぁと。
みのわ すごい勢いでそういうのが押し寄せてきているから、まったく知らないでああだこうだも言えないし、言いたくないからある程度知った上で自分はどういう意見を持つのかというのをちゃんとしなきゃいけないんだけど、情報が多すぎて追いついていない……。
とにかく、アリスの母(松たか子)とアリス(多部未華子)はもちろんのこと、脱兎(高橋一生)の哀しさが沁みてしまった。
考えるのをやめてはいけない
でもなんで野田さんはあんな脚本が書けるの?
栗原 戦時中の捕虜の話とかもそうだけれど、初めは自分の正義を持っているけれど、だんだん考えられなくなる、考えるのをやめてしまう、止めざるを得なかったというよね。
みのわ 痛みを感じさせないようにするとか。小さい頃からそうしないことが悪みたいに教え込まれて、育てられて、でもそれに気づいた時の絶望たるや。兎でも皆、違うのに、日常からその当たり前を排除されてしまうことがいかに恐ろしいことかを高橋一生さん演じる脱兎から思い知らされてしまって……。
栗原 一番恐ろしいのは兎であること。ウサギがあのアルファベットであることが一番恐ろしかった。(やっぱりネタばれは極力避けたいので少し言い回し変えています)
みのわ よくあんな演出を脚本を考えられるな、思い浮かぶなと本当にびっくりする。
みのわ 栗さん、NODA・MAPの作品かなり観られているんですよね? どうでした、今回の作品は。
栗原 野田さんの作品のすばらしさの一つが布や紐を使ったアンサンブルの方たちの動きによって表現されるいろいろだと思うんです。今日の作品にもたくさん出て来てましたよね。これまではその動きをある種群舞を観るように「すごーい!!」みたいなエンタメ感に浸ることもあったのだけど、今日の『兎、波を走る』は、そっちに目を奪われて「すごかったねー」にしない感じの突き刺し加減を感じた。松たか子さんも娘さんがいる母親だし、多部ちゃんもお母さんになったということもあるからなのかな、母と娘というリアルもすごく感じた。みのわさんは娘さんの母親でもあるから、そのあたりダイレクトに響いたのでは?
みのわ ちょっとヤバかったです。穴が空いていて、中央にカメラのシャッターのように開閉があって、その穴から見える景色をあのシャッターが焼き付けるみたいな意味にも見えて印象的でした。真っ赤なロープが有刺鉄線になったり川になったり。冒頭の台詞が最後に出てきたときには、涙腺が結界してしまいました。
栗原 毎回思うけど、野田さんの頭の中はどうなっているんでしょうね。
みのわ ほんとそうですよ、回収の仕方が……すごすぎて。
栗原 どこから書き始めているんだろうと思うなぁ。
みのわ テーマは最初に決めるのだろうけど、最初の軽快さにこちらは躍らされている分だけ最後はガツンとやられます。
栗原 一つのトピックスや事件、現象だけじゃない複合的な現代病というか、日本人が陥っているものもグリグリと掘っている気がした。
みのわ あっちこっち掘られまくり(彫られまくり)でしたね。
「つもり」じゃダメなんだ
生き方を考えなければ
栗原 舞台上の構造もすごく深かった。ゲームするにしてもこっちからの画面しか見ていなくて、それは向こう側からはどう見えているのかとか、向こう側では何が行われているかを見えていないだろうと突きつけられている感もあった。
みのわ 表面しか見ていないというか、ウサギをどんどん殺すことに集中してその奥のことを見ていないというような。
栗原 中高生の息子さんがいる同級生から聞いたんだけど、オンラインゲームをしていて急にすごい大きな声で死ねっ!っていう声が聞こえてドキっとするというか、は? ってなることがあったって。普段では絶対言わない言葉をその世界では当たり前にしていて、オンラインでつながっている仲間の中では笑いながら口にしているんだと。ゲームの面白さはわかるんだけど、傍から聞いているとちょっと……と思うことがあると。なんかそのエピソードを今日の舞台を観ながら思い出してしまった。
みのわ たしかにゲーム上だからといってその言葉を言い続けてしまったら、知らず知らずのうちに抵抗なく言えるようになってしまうかもしれない。小さい子たちには引き継いで欲しくない言葉を大人が意識すること、大事ですね。例えば怒り方ひとつにしても、昔の人は感情任せに荒っぽい言葉を使うのではなくて、丁寧語をあえて使って叱っていましたよね。
そういうことが大事だと以前、美輪明宏さんが言ってたことを思い出しました。
栗原 役者さんについてもお話していきましょう。
みのわ 野田さんのあの身体能力、どうなってるんですか? ただただ驚きです。テーマパークの女主人、元女優ヤネフスマヤ役の秋山菜津子さん、すごく聞き取りやすい声でした。
栗原 上手い方ばかりでした。
みのわ 今日の作品はこの年齢で観たから余計にだと思うけれど、生き方を考えないといけないと思わされました、本当に。
栗原 例えば、テレビのそのニュースが少し流れた時に「あぁ、はいはい」ってチャンネルを変えちゃう感じ。そうやってんだろ? って言われている感じだったなぁ。
みのわ わかる! なんかね、「つもり」じゃダメなんですよね。自分なりに気にしているつもりじゃダメなんだってことを突き付けられた感じがする。
このニュースについても、例えば写真展が開催されたりしているのをそのうち見に行かなきゃなぁなんて思っているのに結局行ってない。なんだかんだ言い訳をつけて、後回しにしていた感じ。もちろん全部が全部は自分事には出来ないけど、でも余計なこといっぱいしているのになって。
栗原 これも逃げになるのかもしれないけれど、せめてそれについて考える、どう思う? ってカジュアルにでも交差させること、ただの過去みたいに「そんなこともあったね」にしないというのは絶対必要なんだよね。過去じゃないし。演劇がそのきっかけになるというのは、尊いことだなとも思う。だから、この作品が事前にこういうことを描いています……とテーマが発表されていたら、来ない人がいるかもしれない。そうじゃなくするということには意味しかない。お松だ、多部ちゃんだ、一生さんだ、兎? カワイイ!!……って、一個もかわいいことないもんね。
みのわ うん、なかった。本当にすごかった。だからまだまだ野田さんの作品観たいです。あのお母さんが私だったかもしれない、ほんのちょっとの違いだけだったわけで。誰もがなりうる人間の怖さが描かれているからこそ胸にきました。
演者の肉体を通して言うということがこんなにストレートに響くのかというのはすごく感じましたね。
栗原 NODA・MAPを観ると、「観なくては!」という使命感にかられるような気がして、それで今日に至る気がします。チケットなかなか取れないこともあるけど。
みのわ それにしても今日があまりにも衝撃が強すぎて、頭の切り替えが出来るかわからない。
栗原 たしかに。でもこういう作品だからこそ、衝撃をわかちあっておくのも大切ですよね。あえて整理収納に寄せる感想をあげるとしたら?
みのわ たくさんある情報の中で自分たちが何を選ぶのか。一般的にいいとされているものがいいわけではなくて、自分にとって何が大事かということを選ばないと後悔する。
脱兎は後悔していたもの、自分のせいじゃないけど。何から逃げたかったか、体制とか、政治とか国とか、そんなのよりも個人の倫理や正義を選ぶこと、守ること、これがいいと思っていることを意識して考えて選ぶことが大事。で、それは日々思っていないと出来ないんだなと。流されていたら絶対に出来ないんだな。
栗原 捨ててスッキリ! でいいのか? というところにリンクする気もするよね。
みのわ 是がはき違えられていく可能性があるということは、私たちの仕事でも意識しなきゃいけないことだなぁと思います。何も出来なくても考えることをやめてはいけないですね。あぁ、今夜寝られるかなぁ。
栗原 また、舞台を観て考える時間をご一緒しましょう。
<東京公演>2023年6月17日(土)~7月30日(日)
東京芸術劇場プレイハウス
<大阪公演>2023年8月3日(木)~8月13日(日)
新歌舞伎座
<博多公演>2023年8月17日(木)~8月27日(日)
博多座
作・演出/野田秀樹
出演/高橋一生、松たか子、多部未華子、秋山菜津子、大蔵孝二、大鶴佐助、山崎一、野田秀樹