誰かと一緒に観劇すると、共感が何倍にも膨らんだり、違った目線がプラスされます。
作品をフィーチャーしながら、ゲストと共にさまざまな目線でエンタメを楽しくご紹介します。
今回ご紹介する舞台作品は、THEATER MILANO-Zaを皮切りに、4都市で公演中の長澤まさみさん、森山未來さんらが出演する『おどる夫婦』です。
ドラマレビュー「ひつじのまなざし」でお馴染みの、みのわ香波さんとご一緒しました。
※以下、作品のネタバレを大いに含みます。
学生時代に演劇サークルで知り合ったキヌ(長澤まさみ)とヒロヒコ(森山未来)。キヌには短期記憶障害がある弟・光也(松島聡)がいて、母・朋恵(伊藤蘭)とは折り合いが悪い。
3.11、あの日がやってくる。ヒロヒコの出身地は宮城県。漁師の父・勝利(内田紳一郎)は、震災で家と船と妻を亡くした。故郷に帰れずにいたヒロヒコにキヌは結婚を持ちかけた。
結婚後、キヌは衣装製作会社で働き、ヒロヒコはライターとして細々と仕事をする日々。
キヌの幼馴染の塔子(内田滋)とその夫(岩瀬亮)、勤め先の経営者の娘・りく(小野花梨)、ヒロヒコの伯父の薮原(皆川猿時)など、ひと癖ある面々との微妙な人間関係に振り回されながら、夫婦もまたほころびを見せ始めるのだが……。
自分で自分の椅子を
ちゃんと片付けるしかない
栗原 『おどる夫婦』なのに、踊らない……。森山未來さんが踊らない……。途中まで、レビューの始まりはそう書き出そうと思ってたけど……やっぱり踊りましたね。いろいろな意味でこの舞台、見応えがすごかった。
みのわ こんなに盛り込みます? って感じでびっくりしちゃった。
栗原 ザワザワする感じとか、ウウッとなる部分がすごく多い作品だよね。不協和音が底に流れている感じで、なにかの拍子にガタガタと崩れていくような、蓬莱竜太さん作品だなぁという感じがすごくした。ロートーンで進んでいて何も事件は起こらないのかしらと思いきや、すごくゆがんでどこにも組み合わさらなくなるみたいな。
今日の作品もそんな風に崩れるような、でもまたくっつくような。
みのわ なんか、身につまされたセリフも多かった……。頭にきたり、相手を言い負かしたりするのって自分軸じゃないですか。相手の言い分をよくよく聞いてみればその通りだったりすることもあるけど。
言えばたいてい喧嘩になるから言わないようにしているだけだったり、みたいなことは夫婦とか友達とかの間でも日々よくあること。
でも今日の『おどる夫婦』には、その日常のやりとりのみならず、震災からコロナまで、もっと大きな事象があった。その受け取り方や感じ方も人それぞれなのに、わかった気になっているなと思って、身につまされましたね。
栗原 私もそれだ、わかった気になってるなぁ、イタタタタって思った。たしかに、1対1だったら相手の立場になって考えることが多少は出来ているようなつもりだったけど、震災やコロナのような大きな事柄に関しては、わかった気、知った気になって一方的な考えしか持てていない気がする。
みのわ 松島くんが演じた光也が、自分の存在なんて無だって言うシーンがあったけど、あれが凄かった。すさまじかった。痛みや苦しみを抱えている人がいても、結局は周りってどうにもできないじゃないですか。想像したところでどうにもできない。そういうことを面と向かって突きつけられた気がしたんです。
栗原 ありがたくも最前列のど真ん中だったから、言葉や汗や表情の細かいところまでよく見えて、たしかにセリフを突き付けられた気がしました。
みのわ だから最後に一人ずつ椅子を持って行くところをみて、元々は個だし、一緒にいたとしても結局自分で自分の椅子をちゃんと片付けるしかないんだよなと思って。
栗原 あの椅子の持ち方、皆、丁寧だったよね。ある人は重そうに、ある人は愛おしそうに、ある人は律儀に、自分自身なのか自分を囲む世界なのかわからないけれど、もう……なんていい演出なの! と思ったよね。すばらしすぎて声出そうになっちゃったもん。
みのわ 本当にすばらしかった。あれだけ複雑に動きまわっていて、最後こうなるのかって。すごい演出ですよね。
栗原 一人ずつが持って帰っていくけれど、その前に受け渡しもいくつかあったよね。あれには「じゃあね」だけじゃなくて、託すとか、渡すみたいな希望も感じられた。どうせ人は一人だし、と割り切るだけじゃない希望も見せてくれたような気がしたなぁ。ちょっとそれはホッとしたし、ホッとしたことに気づいたことで、私はそれを求めているんだなというのにも気づけた。
全部に意味を想像していいよと
提示してもらえているような演出
みのわ 劇中には反面教師的なこともあり、でもそれが婉曲的なのにちゃんと伝わるような演出がすごいし、それが伝わるように演じている役者さんもすごかった。
栗原 もちろん私たちは全然気づいてない思いや仕掛けも舞台の中にはまだまだたくさんあると思うけど、いろいろ気づけるところも見せてくれる優しさがあるなって。自分たちだけがわかればいい作品にはしないっていう創り手の優しさ。例えば、盆が回って流されるとか、置いてきぼりになるとか、自分以外が回っているとか。全部に意味を想像していいよと提示してもらえている感じもあった。
みのわ たしかに。一人だけ反対回りだったり、みんなは歩いているのに一人だけ動けなかったり、あの演出もいちいちすごいなぁって。
キヌがヒロヒコに、りくとのクリスマスの夜のことを問いただす時も、思いがけず聞くんだけど、その時周りの音なんて聞こえてないわけで、そういう時の演出はまさに世界が止まって自分だけが感情がぐちゃぐちゃっとなってる感じが視覚化されてました。
栗原 盆だけじゃなく、左右の動きというかフォーメーションもたくさん仕掛けられていましたよね。
こちらの発信やアプローチの仕方で
相手も変わる
みのわ 改めてああして(文字で)見せられると災害も多かった15年だった。
栗原 311のことはわかっていても、それ以外の災害のことは忘れてるでしょ、 と言われた感じだったよね。事柄を憶えていたとしても、死者の数などまで記憶できてたかといえば……。
みのわ テレビのニュースとかであれから何年みたいな報道を見て、「そういえば」と思うけど、その場その場には、ヒロヒコのお父さんのような人がたくさんいるわけだよと投げかけられた気がした。いつ自分だってそういう立場になるかわからないから、余計に考えさせられましたよねぇ。
栗原 前半が終わって幕間は、呑気に夫婦のあるあるみたいなことを私たち、話してたよね。
みのわ 話してた。それでも十分身につまされてはいたけど。
栗原 パーソナルなところから後半は社会を取り巻く話になったもんね。サークルが広がった。
みのわ 光也と伊藤蘭ちゃん演じる母親とのシーンも印象的だった。子どもの言葉を待ってあげられない母親、仕事でもそういう場面に遭遇したことがあったから重なってきちゃって。言いたいことがあっても、相手にわかってもらえると思えなければ、より言いづらくなるじゃないですか。こちらの発信やアプローチの仕方で相手も変わる。自分はこれが正しいと思って何十年も生きてきたから、「なんで? それ、ありえないでしょ!」と思いがちだけど、決してそうじゃないし。あぁ、私も大人にならなければ……なんて自分になぞらえて思ってしまった。
あの親子のシーンを見て、あれじゃあ息子が可哀そうって他人のことだと思えるのに、自分もやってないかっていうと案外やってるかもしれない。
栗原 たしかに、先回りして相手が言い終わらないうちに口はさんじゃったりね。たまには、わかっているけど「へぇーっ」ってわからない体で聞いてあげることもある。あ、聞いてあげるっていう言い方がすでに上から目線になってる(焦)。
みのわ 逆に、なにか話の途中で先回りして決めつけるように言われたりすることもあって、そういう時は落ち着きはらって「最後まで聞いてから言ってくれない?」っていうこともある。あ、それは主人に対してね。
リアルと皮肉のオンパレード
キリがないってわかってる
みのわ 後半の冒頭、キヌとヒロヒコが2LDKに引越してましたよね。
栗原 桜新町。
みのわ 引っ越したのに、ヒロヒコが「僕は前の部屋でもよかった」というあのくだりもありそう……って思って。
栗原 わが家ではそういう引越し経験がないのに、デジャヴ感があった。
みのわ あのシチュエーションは本当にリアルですごいなと思った。引越しに限らずだけど絶対みんなにも経験がありそう。前の住まいから桜新町へ、間取りも家賃もグレードアップするんだから、二人ともなんとなくいい感じで決めたはず。でも生活が始まると不具合ばっかり目についちゃって、こうしてくれない、ああしてくれないが出てきちゃう。理想に向かって実行したはずなのに「なんでやってくれないの、信じられない!」みたいなのはすごいあるあるだなぁと思っちゃった。他人だから当たり前なんですけどね、自分じゃないんだから。でもそういう齟齬はいろいろありそう。わかりやすい例でいえば夕飯でもあると思う。美味しそうに食べてない気がして「焼肉でいいって言ったよね?」って確認したら「肉でいいって言ったけど、本当はすき焼きが食べたかったから焼肉はそんなに……」みたいな。それ、お肉売場で言ってよ! みたいなね(笑)。
栗原 パートナーとか親しい相手には、ちょっとプラスアルファを求めちゃってる。いつものことは出来て当たり前で、そこに何か乗っけて欲しくなる、みたいなのはキリがないよね。
みのわ ホント、キリがない。前半で「幸せじゃない」っていう言葉が出て来て、じゃあどういう状態が幸せなの? をずっと問われているような気がした。例えば震災もなくて、無事なだけでも十分幸せだし、ヒロヒコが幼い頃に母親にしてしまったことがなければ、あんなことにはならずに済んだかもしれないし……とか、幸せの定義なんてキリがないし。
光也が言う「みんなは僕みたいじゃないでしょ」というあの思いも、みんなと同じだったら幸せだったかといえば、そうではないかもしれないし。
栗原 皮肉なことに、悲しいことやしんどいことがあった時に、今までって幸せだったんだということに気づく……みたいな。うーん、なんて人は小さい生き物なんだろう。現実だし皮肉だよね。人の不幸で自分の幸せを実感してしまうという歪みも存在する。
みのわ 幼馴染のキヌと塔子だったけれど、キヌは塔子に対して彼女が本当はやりたかったことを自分が全部奪ってしまったような気がしていた。どこか後ろめたさを感じながらの成功、だから心から喜べてはいなかった。傍から見て成功と思われていてもそうじゃないということも皮肉だし。
栗原 自分たちで決めて作り出したものではなくて、なりゆきでそうなったことへの後ろめたさも持っていた。クリエイティブに関するものであればなおさらだよね。だから余計にラスト近くでキヌと塔子が再会するシーンはやたら泣けちゃった。
世の中は自問自答できない風潮?
『おどる夫婦』には個があった
栗原 キヌと塔子のようなわだかまりって大なり小なり誰にもありそうで、この作品の中の二人のようにいつか解ければいいけれど、あったはずのわだかまり自体も打ち消してフェードアウトする人もいるよね。なんとなく世の中的には、「それでいいじゃん」になっていて、それも一つの選択なんだけど、全部がそれでいいのかなって。なんでも捨てればいいじゃん、なかったことにすればいいじゃんでいいのかなって思ってしまうんだよね。
みのわ なかったことじゃないしね、あったしね。あったんだもんね。なかったことにしがち。便利になっているはずなのに、どんどん忙しくなってしまってる気がする。
栗原 この考え方って執着なのかなぁ?
みのわ 執着したほうがいいですよ、人間なんだから。何もない毎日も平和でいいんだけど、あのラストシーンのように自分の椅子のことは自分でわかっていたいなって改めて思います。これは整理収納アドバイザーになったから考えられるようになったことですね。
よく、お片付けに悩まれている方から、皆はどうなんですか? ほかの人は? と聞かれることあるんですよね。いや、皆とかはいいんじゃないですか! って言ったりするんですけどね。今の世の中の風潮なのかなぁ?
栗原 正しいルールがあるなら決めて欲しいと思ってしまうのかな。そもそも聞くことは出来ても聞かれ慣れていない。聞かれていないから言わない、だから考えないっていう人は多いのかもしれない。
みのわ ってことは、毎日の暮らしの中で自分で自分にも聞いてないってことですよね。
栗原 私だったらどうするのか? という自問自答はできるようにしていないとだよね。
みのわ 迷うことっていっぱいあるから、自問自答できないと不安。合っているか合っていないかなんてわからないし、誰かに聞いて決めてもらっていくほうが不安。
栗原 『おどる夫婦』の中では、皆、自分がありましたよね。だからバトルしたり、クロスしたり、ぶつけあっていることで考えたり、ハッとしたりイラッとしたりが生じていたよね。
みのわ そういう意味では登場人物、皆に「自分」がちゃんとありましたよね。
それにしても、このかなりシリアスな作品の中で猿時さんのキャスティングは絶妙。
栗原 あの猿時劇場は、公演を重ねるうちにだんだんエスカレートするんだろうね。
みのわ 長澤さんと小野さんはさすがに堪え切れない感じでしたね(笑)。
栗原 震災のこと、コミュニケーションのこと、いろいろ考えさせられたけど、踊らされる夫婦の話ではなく、『おどる夫婦』なんだということに胸が熱くなりました。
みのわ まさみさんと未來くん、本当に素敵でうっとりしちゃった。
栗原 みのわさん、良席をありがとうございました!!
みのわ 席運使い果たしちゃったんじゃないかとちょっと心配だけど、本当に贅沢な席で観劇できました。
栗原 じゃあ、プログラムの中に掲載されている「あなたが心の奥で求めるパートナー 心理テスト診断」やってみましょー(笑)。

※ちなみに、Yes、Noで進んでいく心理テスト、ルートは異なりましたが、二人とも同じタイプでしたー(笑)。
2025年4月10日(木)~5月4日(日)
THEATER MILANO-Za
2025年5月10日(土)~5月19日(月)
森ノ宮ピロティホール
2025年5月24日(土)~5月25日(日)
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
2025年5月31日(土)~6月1日(日)
サントミューゼ 大ホール(上田市交流文化芸術センター)
作・演出/蓬莱竜太
音楽/国広和毅
出演/長澤まさみ、森山未來、松島聡、皆川猿時、小野花梨、内田慈、岩瀬亮、内田紳一郎、伊藤蘭