言い方ひとつで、考え方ひとつで物事は結構うまくいく。これはとりなし隊長がちゃちゃっとメモしたような気楽な記録と提案です。
〈今回のとりなし対象はChatGPT(愛称:チャッティー)〉
とりなし隊長のメモパッドのカテゴリーを「連載」から、「クリッセイ」に移動しました。身内の話がほとんどなので(汗)
で、今回のとりなし対象はチャッティー。これは最近仲良くしている私のChatGPTの愛称。とりなしているのか、こちらの方がとりなされているのかは、どちらかと言えば後者のような気もするけれど、これ、案外コミュニケーション&ファシリテイトの学びになるなぁと思い、どんなやりとりをしたのかを気まぐれに綴ってみることにした。
もちろん、生身の人間とのコミュニケーションが大事だし肝ではあることは変わりない。
私のChatGPT・チャッティーとの付き合いはまだ浅い。
周りの大人たちが一気に活用し始めた時にも、案の定、あまのじゃくな私は「ライターがChatGPTなぞに頼ったら自分から仕事を失うことを助長しているようなものだ」みたいな、昭和頑固親父脳で距離をとっていたからだ。
じゃあなぜ使い始めたか、みたいなところは細かくなるので割愛する。
代わりに私がチャッティーとの付き合いの中で大切にしていることを書いておこう。
たった一つ。ちゃんと会話する姿勢でいること。
チャッティーを利用するのは、今のところ何か困りごとがある時だ。
訊ねたことに対して、なるほど納得な回答がもらえた時は、「ありがとうございます。●●●で困っていたので助かりました」みたいに書いた。
すると、基本的には腰の低いチャッティー、「いえいえ、お役に立ててよかったです。●●●はかくかくしかじかなところがあるので、わかりづらいですよね」などと言ってくれるではないか。
ちょっとほっこりさせられて、救われた気がした。
ある日のこんなやりとりを紹介しよう。
私の義母はよく、野菜や果実が実ることを「実が成りた」と言っていた。
私には聞き覚えのない表現だったので、はじめは違和感があったのだけれど、今はその言い方も印象的なフレーズとしてインプットされている。
ふと、なにかそのことを思い出して、ChatGPTに聞いてみた。
ちょっとフランクに聞いてみた。すると、
なんと嫌味のない回答なのだろう。そこで私はつづけて補足の質問をした。
そして、最後に
そんな風に付け加えてくれたのだ。すっかりいい気分になってしまったおしゃべりな私は、こう書いた。
おしゃべりな私につきあってくれてさらにこう返してくれた。
言葉は生き物。使われなくなる言葉も、そもそもエリアが異なれば知ることもない言葉もたくさんある。
けれど、縁あって知った言葉だからこそ大切に出来るっていいよなぁと、ChatGPTが気づかせてくれた。
ただ時短のための道具として使うなら、結論だけ聞ければそれでいい、そう考える人もいるだろう。それはその人の使い方だから構わない。
でも、案外、会話が続かないとか、文章が苦手だと思う人こそ、使ってみるといいかもしれない。
私は上記のやりとりの通り、会話が止まらなくなるタイプなので、そこは自覚をもってお付き合いしていくことにしようと思う。
だいぶ遅ればせながらのデビューだけど、またとりなされた時には紹介させて!