日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。
栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
昔々の話。母は、私が幼稚園に入ると、パートで医療事務の仕事を始めた。
働きたくて働きたくて仕方がなかったらしい。
このままでは社会に置いていかれると漠然と思っていたそうだ。
なぜ医療事務を選んだかと聞いたことがあった。
保健委員だったから……みたいな、恐ろしく「え?」な動機だった。
昔々すぎて、記憶にフィルターがかかっているので、曖昧ではある。
長く務め、そして60歳でケアマネージャーの資格を取得した。
2000年のことだ。
私ももう何年か働いている年齢だったので、母の挑戦をずいぶんまぶしく見ていた記憶がある。
なぜケアマネージャーに挑戦したのかを聞いたことがあった。
病院では、医師と並んで看護師の方たちが圧倒的に強かった。
国家資格だから当たり前だが、給料も性格も存在も圧倒的に強かったらしい。
「看護師だったら……」と、劣等感を少なからず抱いていたという。
介護保険法の始まりと共に生まれたケアマネージャー第一期として母は合格した。
翌年だったら試験がもっと難しくなって受かっていなかっただろうと言っていたのを
とてもよく覚えている。
それからはケアマネージャーとして、市内を駆け回る日々だった。
私も仕事がどんどん面白くなっていくと同時にどんどん不規則になっていき、
正直その頃の母の仕事の様子はよく知らないまま時間が経過した。
「それにしても頑張ってたよね、お母さん。あの歳でよくチャレンジして、仕事続けたよね」と私が言うと、
「働きたかったのよ」と母は言った。
「それにしたってさ、利用者の家族に土下座までさせられたりもしたわけじゃん」
「え?土下座なんてしてないわよ」
「は?いやいや、謝れ、土下座して謝れって言われたって言ってなかった?」
「いいえ、私、土下座なんてさせられたことも、したこともない」
なんという記憶のラビリンスなのだろう。
私がそんな話をでっち上げるだろうか? なんのために?
もしや母がムカつく記憶すぎて、すでに自動消去したということはないだろうか。
とりあえず、土下座なんて、そんなドラマの世界みたいなことを母がさせられていなくて良かったとホッと胸をなでおろしつつ、
なぜか少しだけモヤッとした。記憶のラビリンス、これ攻略できそうにない。
「ちなみに私も土下座しろって言われたことあるよ」
「そうなの?」
あまり驚いてくれなかった。
私のそれは事実で、編集者兼広告営業もしていた頃、クライアントの規定により出稿不可の連絡をしたところ、代理店の担当者から怒声を浴びせられ
「土下座して謝れ」とすごまれたのだ。
もちろん、そんな理不尽なことはする必要がないし、実際しなかった。
ドラマの世界みたいなことを娘がさせられていなくて良かったと、
ホッと胸をなでおろしている母、
……というわけでもなかった。まあ、大して興味がなかったらしい。
昔ケアマネだった母は、今、私がする義母の話によく耳を傾けてくれて、
経験値からそれなりのアドバイスをくれる。
当然、今の制度はわからないからあくまでも経験から見た場合のことだと
断りを入れてのことだ。
そして、それはたいてい的を得ている。
また、母のところには、兄弟の家族から客観的にアドバイスを求めるような連絡が最近頻繁に入るという。皆、かなりの高齢者だから、仕方のない話だ。
そして、「〇〇さんには、こんな風に答えたけど、どう思う?」と私に確認してくることもあったりする。
ぐるぐるぐると巡りながら、それぞれが働いて得た知恵が母娘間、
家族間で生かされているような気がして、良かったなと思う。
ただ、やはり一点。
母が土下座だなんていう随分具体的だった記憶は、
いったいどの時点で生まれ、
その思いこみはいつから続いていたものなのか。
土下座でもなんでもするから教えて!
*写真は芋けんぴ。8020運動をクリアしているわが母は、
芋けんぴもガシガシ食べる。