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祭りのころ

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッ
セイ、つまりクリッセイ。

わが家ではつい先日から毎年恒例、ゴーヤー祭りが始まった。
あんなに西日がキつかった仕事部屋だが、今は昼間でも真っ暗。
葉がどんどん生い茂り、黄色い花をつけ、実がなる。

当然、1本目はゴーヤーチャンプルーだ。まあ、2本目以降もほぼゴーヤーチャンプルーといえなくもないが。
もぎたて新鮮なゴーヤーを塩もみもせずに炒めて食べた。

食卓での会話。
「うん、苦くておいしいね」
「うんうん、いい苦さだね」

思い返すと夫が初めてゴーヤーチャンプルーを食べた時は、
苦い苦いの大合唱だった。人は変われば変わるものだ。

当時から「この苦さがいいわけよー」と、結構な沖縄イントネーションで相槌を打っていた私。
沖縄の方々と社会人になってから3年ほどお仕事をしていたので、
あの独特のやわらかいイントネーションは結構沁みついているのだ。

塩もみをしっかりしたり、かつおぶしをたっぷりかけたり、
いろいろなアレンジをして、なんだかんだと毎年ゴーヤーを食してきた。

すると冒頭の会話になるというわけだ。
「苦くておいしい」「しっかり苦くないとね」
本当に人は、そして人の味覚は変わるのだ。

初めてのゴーヤーが衝撃的だった理由を改めて聞いてみたら、
それまで食べたことが一度もなかったからだそうだ。
沖縄料理店にも行ったことはなかったそうだ。

考えてみれば、ピーマンがさほど好きじゃない人は、
あえてゴーヤーにはチャレンジするまい。

私は上記のような理由で、沖縄が大好きになり、沖縄料理も大好物になったので
この美しい緑色の野菜をせっせと食べる楽しみにこの10年ハマっているのだが。

ゴーヤーの季節になると、連鎖的にスパムも購入する。
昔はあまり見かけなかったけれど、今はコンビニのおにぎりにもあるぐらいで、
スーパーでも一年中見かけるようになった。
でも購入するとなると、我が家はこの季節だけかもしれない。

そうして、やれ普通の豚肉のほうがいいねとか、一度に使いきれないよねとか、
毎年思ったり口にしたりするのも楽しい。

リアルなお祭りには参加していないけれど、この夏から秋にかけての祭りはコロナ禍も、
リモートワークも密も関係なし。
いや、葉は生い茂ってすっかり密だけれど。
今年こそ、正の字書いてカウントしよう。