日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
私の母が出演した一世一代の晴れ舞台、浅草公会堂で開催された舞踊の会。
一日付き人として見た舞台の表と裏の話のきまぐれ短期連載をお届け中。
プロフェッショナルな人たちの手により、衣装に身を包んだ母は、いよいよ本番の舞台へ。
……の前に、プロの手による写真撮影があった。
仕事柄、この光景は比較的見慣れている私だ。
着付けや化粧同様、こちらも分刻み。演目、衣装に合わせてポーズもいろいろパターンがあるようで、小道具は何を持つか、髪型を意識した角度は? など、
踊りの写真ワールドがあるようだった。
この日、ベテランのカメラマンさんの横にはアシスタントの若者がいた。
どれくらいピヨピヨさんなのかはわからないが、
「こういう時は必ず裾をきれいにならして」「さっきの〇〇さん、踊り終わったら、もう1ポーズ撮るから舞台袖でピックアップしてきて」など、細かく指示出しをしながら、次々撮影を進めていく。
アシスタントの若者は大人しめなシュッとしたイケメンさんで、役者ですと言われても
不思議じゃない感じ。
リアクションは薄めだが、淡々と言われることをこなしている風だった。
ハラスメント的要素はなく、先輩カメラマンは、なんとか興味を持って育てたい気持ちも含めながら指示出しをしている風だった。
それ、結構疲れるよね。
母の番が来た。
「僕がいいですよと言ったら、ご自身のスマホで撮っていいですからね」と言ってくれた。
「え、いいんですか!?」とテンションあげ目でリアクションしたが、
実はあまりそれには重きを置いていなかった。
同じポーズのものがたくさんあっても、結局いらないということになるからだ。
それよりは、写真を撮られているの図、という写真のほうが面白い。
舞台裏をフォトブックにしてあげるのもいいかもしれない。
プロの記念写真と舞台写真は、結構なお値段で購入することになるのだし。
割とオーソドックスなポーズをつけられた母の顔は終始こわばっていた。
鬘をつけたばかりで、なんとなくしっくり来ていなかったことがあるのと、
写真のためのポーズは、実は重労働というか、厳しい体勢だったりするので、ヘンに力が入ってしまうのだそうだ。
私が撮ったポーズ写真もイマイチだった。
せっかく娘が撮るのだから、もう少し柔和な顔にさせる声かけをすればよかった。
などと、少し反省もしている。
正直なことを言えば、私もこれから母が本番を迎えることに対して、緊張感があったのかもしれない。
9分の演目なのだ。
9分を一人で踊るって相当長い。
母は踊り切れるのだろうか、転んだり、扇子を落としたりはしないだろうか。
数年前、同じ公会堂でのシーンが記憶の片隅にある。
すっと立ち上がれず膝をついてしまった箇所があったのだ。
その後、なんとか踊りきったのだが、膝をついて正座、みたいな感じになった時に、
緊張と悔しさの混じり合ったような仏頂面になったのがセットでインプットされている。
私より夫はその時のことをよく記憶していて、
今回は仕事のため会場には来られない代わりに、朝、母にこう言っていた。
「頑張って踊りきってください!」と。
そう、9分踊り切らなければいけないのだ。
幕があがり、下りるまで。
さあ、今度こそいよいよ本番の舞台へ。
母を舞台袖に誘導して、私は客席に向かった。
(つづく)