日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
ずっと裏方街道を来た。
編集は裏方そのものだし、旅行手配も真裏だ。
まあ、大抵の仕事は何かの土台を作ってそれを提供していくのだから、裏と言えばそうか。
スター街道を行く人をうらやんだことがあるか? と聞かれると、実はあまりない。
割と早くから役割みたいなものを意識していたし、むしろ裏でいい仕事しまっせ……を誇りにしていたところがある。
フリーランスになってからイベントのスタッフをさせていただいたのもまた裏方街道ど真ん中。だからそこにスポットを当てられるのはどうにもむず痒い。
あ、人に当てるのは大好き。
じゃあまったく表に出てこなかったかと言えば、裏としての表、というのはある。
場を回す感じ。
最初の記憶は小学校高学年までさかのぼる。
焼きいも集会の司会だった。
学校の畑で育てたさつまいもを全校生徒が収穫し、焼きいも集会の1週間前くらいから学校敷地内の落ち葉を集め、それを校庭で山を作って、焼きいもを作って皆で食べる。
いろいろなことがゆるい、古き良き時代の学校行事だった。
野焼きみたいなイメージね。安全面とかよく平気だったなぁ。
焼きいもは今でこそ電子レンジでも作れる! とか、便利で短時間で出来る方法もあるけれど、
アルミホイルで包んだ生の芋を一から焼くので、それなりに時間がかかる。
その焼けるまでの間、レクリエーションでつなぐのが焼きいも集会の司会の役割だった。
詳細は覚えていないが、大好きな担任の先生に背中を押され、張り切ってレクの準備や
司会の台本を覚えたと記憶している。
わが実家では伝説となっているのがこの時のことだ。
焼き芋集会の日が迫るある夜、私が寝言で「ならんで、ならんでー」とはっきり言ったらしい。
隣の部屋で兄がそれを耳にし、「は?」と耳を疑ったそうだ。
焼きいも集会のリハーサルをしている夢でも見たのだろうか。
でも、それだけ適度にプレッシャーも感じつつ、夢中だったのだろう。
それから恐ろしい年月が過ぎ、フェスティバルのスタッフをしていた頃は、9月10月は何かに追いかけられる夢を続けてみたり、スタッフ仲間から「ひどいよ、クリさん!」とか言われる夢を見て目覚める……みたいなこともあったっけ。
そして、こういうことがある度に、裏のプライドはむくむくと育ち、肥しになってきた。
そんな私がご縁をいただき、今年の「整理収納フェスティバル2022」ではほんの少しフェスの歴史を語るコーナーに出演予定。
そして、そのフェスティバルを盛り上げるべく、奮闘中のフェスサポさんからお誘いいただき、インスタLIVEなるものにもお邪魔する。
焼きいも集会で培ったものが出せるだろうかか。
並ばなくていいので、ひょいと遊びに来てください。