日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
なにかどこかで聞いたことのあるタイトルだ。
毎月連載の「三階席から歌舞伎・愛」からタイトルを拝借して、2023年の観劇初めとなった「新春浅草歌舞伎」をご紹介しよう。
それは、元日というめでたい日に誕生日を迎えた母へのプレゼントを名目とした、
わが夫婦と父母との浅草歌舞伎見物でのことだ。
「新春浅草歌舞伎」はコロナ禍の2021年より中止されていた、若手が中心となって上演する歌舞伎公演で、2023年は3年ぶりの開催となる。
会場は浅草公会堂。私たちは第二部を楽しんだ。
浅草公会堂と言えば、2022年9月に、母が踊りの名披露目で一人で9分間踊った場所。
「同じあの舞台で、尾上松也さんをはじめとする歌舞伎役者さんたちが演じるんだよ」
と、こちらのほうが興奮して、観劇を誘ったのだった。
タイトルからわかる通り、今回私たちが座った席は、花道の横のすこぶる良席。
チケットを確認しながら客席に着くと、舞台の大きさ、花道の近さに興奮した。
観劇が始まる前、夫が用意したのは、浅草歌舞伎の立派なパンフレットとイヤホンガイド。
耳の遠い父は、イヤホンガイドを聞こえにくいほうの耳に装着し、聞こえやすいほうの耳で生音を楽しんだ。
始まる前のお手洗いを確認し、スマホの電源を切り、前のめりにならないよう母に助言する。
しばらくすると開演前のアナウンスが流れた。
新春浅草歌舞伎に出演している役者が日替わりでアナウンスを担当していて、
この日は第一部に出演している中村隼人さん。
今回は感染対策を徹底するため、楽屋の人数をなるべく少なくし、リスク回避するため、
第一部と第二部は出演者が総入れ替えするのだそう。
第二部の観客に向けて、「ぜひ第一部もご覧になってください」としっかりPRも忘れない感じが清々しかった。
さあ、そろそろ開演だ。
一演目は、「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」
主人公は絵師の浮世又平(中村歌昇)。実力はあるものの、師匠である土佐将監(中村吉之丞)から土佐の名をもらうお許しが出ない身の上だ。
その理由は言葉が不自由であることだった。願い出ても許しが出ず落ち込む又平を女房のおとく(中村種之介)が励ます。このおとくは、口が達者で、夫の代わりにすらすらと師匠に進言するものの願いは叶わない。
又平は観光客相手に動物や植物の絵を描く仕事で食いつないでいる状態だった。
師匠からはお前のことを考えれば、今の仕事の方が気楽だろうと諭される。
あぁ、モヤモヤする。「なによ、なんでよ! 師匠、それ以外の術は本当にないの?」
歌昇さん演じる又平は、言葉の不自由を嘆き、何度も自分の口の中を、舌を引っこ抜くような仕草をする。
そして、願いが叶わないのならいっそ……と世をはかなむのだ。
早まる夫を止めようと、女房のおとくは、屋敷の庭にある手水鉢に自画像を描くことを提案する。
すると手水鉢の石の反対側にまさかの奇跡がおこって……。
結果を言えば、ハッピーエンドだ。
絵師としての力量を認められて、又平は土佐の名をもらうことが叶う。
個人的には途中モヤモヤもしたが、機転をきかせた女房おとくがいてこその結果と、
それを又平がちゃんと感じているからこその最後がすばらしかった。
二人は手をとりあって、花道をいくのだ。
浅草公会堂の客席にたくさんの拍手が鳴り響いた。
ちなみに、この又平とおとくを演じた歌昇さんと種之介さんは実の兄弟。
兄弟が夫婦を演じることは、歌舞伎界ではよくあることだが、なんだかいいなぁと思ってしまうこの感情はなんだろう。
とにもかくにも、90分飽きることなく観れたのは、
間違いなく、舞台までの距離、花道の近さから感じられる圧倒的な臨場感のおかげだったのではないかと感じている。
途中、隣に座る父と母をチラチラと見た。
二人とも退屈している様子はなく、居眠りしていたりする様子もなかったのが嬉しかった。
劇場にある非日常、ハレの場を正月らしく楽しんでくれているなと感じたから。
90分の終わり近くになって、母が少し咳き込んだ。劇場は乾燥しているのでよくあることだ。
水分を用意しておかなかったことは不覚だった。
ちなみに私も夫も各自ペットボトルは持っていた。
30分の幕間に、ロビーで茶を買うのを付き合い、二演目目に備えた。
(つづく)