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花道横から歌舞伎・愛_其の弐

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

毎月連載の「三階席から歌舞伎・愛」ならぬ花道横から歌舞伎・愛。「新春浅草歌舞伎」第二部の一つ目を見たというのがコチラ。

花道横から歌舞伎・愛_其の壱日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。 夫と私の両親の4人で出かけた「新春浅草歌舞伎」。三階席ならぬ、花道横からの歌舞伎・愛を語ります。...

ニ、はご存じ「連獅子」。
お正月に観るのにぴったりの、歌舞伎といえば……感のある松羽目物の作品。
親獅子を尾上松也さん、仔獅子を中村莟玉さんが演じた。

明けて三日目、まだまだ完全に息の合った親獅子、仔獅子とは言えない感もあったが、
仔獅子の愛らしさ、親獅子の落ち着きはしっかり見えた。
親は子をわざと谷底へ突き落とし、駆け上がってきた子だけを助ける……有名なシーンだ。

松也さん演じる親獅子は、比較的わかりやすく、谷底へ落ちた仔獅子を心配する様子を演じた。ちょっと顔で演じていた気がするのは、私が松也さんをテレビで見慣れてしまっているせいだろうか。
こんな風に観られるのも、座席が舞台にとても近いせいだ。

母と夫が私の両隣りで、それぞれ頻繁にオペラグラスで舞台上を見ていた。
私も持参していたが、使うことはなかった。
それぞれどこを集中的に見ていたのだろうか。
母は指先の美しさをよく観たらしい。
夫は演奏者にも目がいっていたようだ。

連獅子は、前半は狂言師の右近と左近として登場し、右手に獅子頭を持って獅子の動きを操る。小道具が出てくるのもこの作品の飽きないところだ。
それらを出し入れする後見と呼ばれる人たちは、舞台下手の五色の揚幕を腰をかがめてサササッとくぐる。
そのサササッの動きがなんとも尊いなと感じるのは、なぜなのだろうか。

狂言師が立派な毛を携えた獅子になるまでの間は、二人の僧の軽妙なやりとりで楽しめる。
浄土の僧 遍念を中村歌昇さん、法華の僧 蓮念を中村種之介さんが演じた。
そう、さきほどの作品で仲睦まじい夫婦を演じた兄弟だ。

二人はそれぞれの宗派のすばらしさを説き合い、いつしかその掛け合いはあべこべになってしまう。

そしていよいよ親獅子、仔獅子が花道から登場する。
花道横である喜びに震えるのは、まさにこの登場シーン。一度舞台に向かってやってきたと思ったら、あの長い毛を携えつつ、
ツツーッと花道を後戻りするのだ。ツツーッと結構な距離をだ。
もちろん後ろを振り向いたりせず。

そうしてかの有名な毛振りである。
とにかく長かった。こんなに毛振りタイムって長かったっけ? と思うほど長かった。
終演後、「いつもより長めにやっていたんじゃない?」と、皆で話したが、
果たしてそんなことはあるのだろうか。
見事に舞い終え、勇壮かつ美しく決めたところで幕となった。

イヤホンガイドを回収すると、父が「これのおかげでとてもよくわかってよかった」と感想を漏らした。
本当にそう思う。イヤホンガイドはガイドだから、作品をわかりやすく要所要所で解説してくれる。
役者が登場してきた時は、役者の名と屋号を。
尾上松也さんなら音羽屋、中村歌昇さん、種之介さんなら播磨屋。
そして、衣装のことや設定、場面が変わる時にはその背景などを紹介してくれる。
ガイドがあると、集中できないのではと思っている方がいるが、この作品を補完する感じは本当に絶妙なので、歌舞伎を楽しみたい方には絶対おすすめ。

なんとなく、これまではわずらしい感じが先立っていたという父が、イヤホンガイドのありがたみを絶賛していたのがなんだかちょっと嬉しかった。
「パンフレットも読みどころがたっぷりありそうだから、明日にでもじっくり読んでね!」
読書好き、歴史もの好きの父は、「そうする」と喜んで持ち帰った。

パンフレットっていいよね、と感じる人を一人増やしたような気がして、
新年早々謎の得意顔をしたのである。

この後、食事をして浅草を後にした。
父は天ぷら屋さんで日本酒3合近くをカッカッと呑んだ。
よっぽど嬉しかったのだろう。
……ん!? いや、違う。日本酒をカッカッと呑んだのは、観劇以上に酒が好きだというだけだ。
観た演目が「勧進帳」だったら、1合余計に飲んでしまったかもしれない。