日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
1月15日は成人の日、だった。
自分たちの成人式の日は、20年ぶりに首都圏で雪が降った日だった。
ちょうど20年ぶりっていうのがすごいよね、と話題になったが、
成人の日が1月15日でなくなったことで、もうこの記録にはほぼ意味がないというか、更新されようがないことがわかる。
ちなみに、成人の日が1月15日だったのは1999年までだったらしい。
もう数年前から、成人式を迎える若者は、生まれた時から1月15日など関係なかったわけか。
ましてや写真の前撮り、コロナ禍、いろいろな流れや現況があって、もう1月ですらないという。
高校を卒業する数ヶ月前、進路が決まった後の2~3カ月、地元のファミリーレストランでアルバイトをした。
駅に直結していたデパート内の店舗だったので、すごく忙しい時間帯があるお店だった。
社員さんとキャリアの長いバイトさんと、ほかにもいろいろいたと思うけれど、
なんとなく顔を思い出せるのは2~3名だ。
でも、やけに鮮明に覚えていることはいくつかある。
メニューの中からまかないとして食べられるものがいくつかあった。
ホットサンドはそのうちの一つで、ここで私は初めてあのちゃんとしたプレス機で作られたホットサンドなるものを知った。
美味しくて感動した記憶がある。
そのホットサンドが飛ぶように売れる日がある。
成人の日だ。
店舗は駅に直結したデパートの中にあって、成人の日の式典は駅から少し離れた市民ホールで催された。
成人式=同窓会みたいなものだから、当然、行き帰りにはお茶とか食事をしようということになる。
前日や当日の開店前ミーティングでは、
「今日は振袖のお客様が多いので、配膳に特に気を配るように」と社員さんやら先輩から言われた。
ファミリーレストランには危険がいっぱいある。
振袖を着ている人にとっては全くもってデンジャーエリアなのだ。
例えば店内のソファー席。グループなら特に選びたい席だろう。
私がアルバイトしていた店舗には、コーナーソファが2か所あった。
そこは大人3名が定員だが、詰めれば座れるからと、大人が4~5名座らせてくれと言われることが多い席だった。
しかし、そういう形状だから、お子さん連れの方を案内することが多い席でもある。
成人の日にお子さん連れが店を利用しない決まりはない。
床には食べこぼし率も当然高くもなる。
もちろん私たち接客係は汚れたら掃除をするけれど、繁忙時は手が回らない。
振袖に慣れていない成人たちは、あのきれいな袖をソファーの下にだらりとつけてしまっていることも少なくなかった。
さっきお子さん連れの人がその席座って、ミートソース食べてたよな……とか、気が気でなかった。
その日のオーダーは、サンドイッチ、ホットサンドが飛ぶように出た。
汚さないように、食べやすいものを選んだ結果だろう。
でも中には、パスタとかリゾットを頼む若者もいた。いや、そりゃあ頼む権利はあるけどさ。
運ぶこっちにリスクがあるもの、やめてくれない? と心の中で毒づいた。
パフェも勘弁だった。
今のようなミニパフェみたいなものが登場する前だったから、パフェといえば安定感の悪いパフェグラスにチョコレートソースたらーっみたいなデコレーションだったわけで。
久しぶりの同窓生に会ってテンションのあがっている成人たちは、席間を移動したりチャラついていたりするパターンもあって、「失礼いたします」の声のボリュームは倍にして、棘も立たせて「動くな、コラ!」と成人のお兄ちゃんお姉ちゃんたちに向かって毒づいた。
もちろん心の中で。
でもさすがにこの日は、まだピヨピヨのバイトだった私は、危険を伴うお運びは免除され、
その代わり皿を下げまくり、テーブルをふきまくり、裏であんみつやらアイスやらを準備しまくり、ヘロヘロでバイトをこなした記憶がある。
あの頃、いろいろな街のいろいろな店舗で毒づくバイトがたくさんいたであろう1月15日。
でも、集うことも、おしゃべりしながら晴れ着で食事をすることも、
何も制約されなかった1月15日は、平和でまさに晴れがましい日だったのだなと思う。
※写真は2021年11月に訪れた、目黒雅叙園 百段階段の企画展「文化財で四季のお花見」で最上階のお部屋に展示されていた振袖