日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
柑橘については、このクリッセイや週イチ義母宅でよく取り上げている。
毎月、愛媛から月替わりで届く柑橘購入も3年目に突入した。
毎年6月、7月はその美味しさに感激した河内晩柑が届く月だ。
これが一番の楽しみ。和製グレープフルーツとも呼ばれるこの柑橘は、皮が厚く、苦みはなく、とにかくみずみずしい。
6月は河内晩柑をむいて、保存容器に入れ、冷蔵庫で冷やしておき、夕食後または朝食べるのが週に何日かの楽しみになっていた。
皮は剥きやすく、自分で剥いて食べるのもまったく手間でも苦でもないのだが、
この皮を剥く作業が癒しの時間になっていて、やけに丁寧で親切で甲斐甲斐しい感じになっているのが自分でも笑ってしまう。
そもそも果物を剥いてあげる、とか、切って盛り付けて出す……なんて慣習は育った環境にはなかったからだ。
その場で切って、切った先から食べる、とか、
食べたい人が自分で剥いて食べる、そういう暮らしだった。
子どもの頃、友人宅でカットしたフルーツなんか出された日には、
速攻で「お洒落なお宅認定」が私のなかでレコードされたくらいだ。
あとフルーツと言えば、「あまり食べない」人の理由に「皮を剥くのが面倒くさい」という答えが出ることが多いことにいちいちイラッとしていたことがある。
「は!? 剥くのが面倒くさいって何それ! そんなの理由になる? どんだけ過保護なんだよ……」みたいな。
今思うと、それにイラっとしている理由もわからないけど、
やっぱり幼少期の、果物はカットされてあるものが出てくる家=お洒落なお宅、親に甘やかされているみたいな、イメージでしかなかった気がする。
憧れの裏返しだったろうか。ああ、恥ずかしい。
わが家は父が厨房になんなく入るタイプで、庖丁を扱うのも上手かったので、
剥いてもらうとか、剥いてあげるが辞書になかった。ついでに剥いたのをもらう……はあったけどね。
そんなこんなで、結婚当初「あまり食べない」理由が「皮を剥くのが面倒くさい」に似たことを言った夫に「フンッ、なーんそれ!!」と冷たい視線を浴びせていたことも今、思い出した。
なのに、今、果物を剥いて出す暮らしになろうとは……。
ふりだしに戻るが、私が皮を剥く理由は、その作業が癒しの時間だから。
単純作業でやった気になる、アロマ効果もあるからだろう。
さて、7月も夫婦そろって大好きな河内晩柑が届いた。
たしか今回は配達された時に「いつものです」と配達員さんに言われた気がする。
おそらく私がいつもその箱を受け取る時に、「ヤッター!」とか言うから覚えてしまったのだろう。
開梱した。
お手紙が入っている。
「7月河内晩柑5kgですが、去年の収穫後の夏場の乾燥の影響や
河内晩柑は寒さに弱いため、年末・年明けの寒波で実が落ちてしまい
また、この前の台風の影響で例年の収穫量よりかなり少ないため
今月はお届けが難しくなりました。
楽しみにお待ち頂いておりましたのに大変申し訳ございません。(一部抜粋)」
この手紙で改めて自然と向き合い、ものづくりをしている方々に敬意が湧いた。
だから美味しいんだし、さぞかし残念だろうし、そうしたことを繰り返しながら今日や明日や来シーズンがあるんだよなと思う。
理由を教えてくれるのもとてもいいなと思う。
ガンバレとありがとうの気持ちにちゃんとつながるから。
代替品をいくつか入れていただいたので、貴重な数個の河内晩柑とともに、7月の猛暑を柑橘で乗り切っている。
各地で頻発している異常気象、天候不順。
農作物への影響は計り知れないことだろう。
美味しく食べる、残さず食べる、無駄買いをしない、見た目に惑わされない、健康でいる
楽しく食べる
すべてがつながっているよなと思いながら、今夜美味しく食べる予定の河内晩柑を剥き終えた。