日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
石川九楊、1945年生まれの書家、書道史家。展覧会は前期、後期に分かれており、私たちが観たのは後期【状況篇】だった。
展覧会のキャッチコピーには、「言葉は雨のように降りそそいだ」とある。
でも、私が観たそれは、雨なんてものじゃあなかった。矢だった気もするし、槍だった気もするし、細い細い糸のようだった気もしている。
はじめにガツンと来たのは、入口を入ってすぐ、「書とは「文字」を書くことではなく、「言葉」を書くことだ」とあったこと。
それは、「あんたも言葉を使う端くれだろう? 形式や形だけにとらわれていたり、感情に左右されてばかりいて「言葉」をしっかり受け止められているんですか?」
もういきなりそんな風に突きつけられた気がしてしまった。はい、心して拝見します。そう思いながら、暗い美術館を進んでいった。聖書の言葉を題材にした「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」。
長く、大きく、ひたすらにしたためられた書を、目で追うとどんどんと近づいて見てしまい、「あっ、文字を見てしまった」と慌てて入口の言葉を思い出す。では次に少し引きで見てみたらどうだろう。そうするとその書の勢いや力に圧倒されて、
「迫力」や「怖さ」みたいな感情的な部分ばかりにしか触れられない。おそるおそる進んでいくと、その怖気づいた気持ちを凌駕する規模の作品に囲まれる展示スペースが待っていた。
館内はもちろん撮影禁止なので、ところどころ気になったり、思ったりしたことをスマホにメモした。
きっと後で見返してもはっきりと思い出せたりしないのだろうとは思ったが、
それでもその日、その時、わざわざメモしようとしたことは何だったのか……ということは振り返れるかもしれないという思いだった。
メモ1/堕落が細い
堕落という言葉が、細く細く細く書かれていた。
そうか、と思う。堕落という言葉の響きだけだと、ズドーンっと、ガゴーンっ落ちるような感じだけど、実際に堕ちていくというのは、スルスルとヌルヌルと、細々と落ちていくのかもしれない。その日の私には、そう感じた。
メモ2/ぼくのことばをわかってくれ
ひらがなで書いていた。単に急いで、コソコソとメモしていたから、ひらがなだっただけかもしれない。いや、多分そう。でも入口から「言葉」というキーワードが目のまえに出されていたから、ひらがなのメモが今になるとやけに意味を持つ。
「ぼくのことばをわかってくれ」言葉を紡ぐ人のその心からの思いを、石川九楊さんは受け止めて、煮詰めて、紙の上に吐き出しているのではないかと思った。
「ちょっとイタコみたいだよね」とご一緒した方が言った。
大きな展示スペースから、つなぎ目の小さな空間があった。
私はそこに展示されている作品が好きだなと思った。
言葉の渦から少しほっとできる、イラストのような、模様のような作品が並んでいた。
メモ3/遊説 陰影 十字架
3本の軸に書かれたその文字は、象形文字のようで、現代アートのよう。
3本並べてひとつの作品になるのだろうか。言葉だけ抜き出すと、「インテリアにぴったりね」なんてことにはならないわけで、そのバランスが不思議なのに心地よかった。
「河東碧梧桐一〇九句選」も見応えがあった。
その数の多さもあって、全てを見きれる気がしなかったので、パッと見て気になる作品は、近づいてなんという句が書かれているのか、解説を見た。
メモ4/あめかんむりと月はわかったぞ
そのメモの通り、気になる句を見ていくと、あめかんむりを使った文字は、そこに雨が降っているような文字だった。月もまたそう。紙の中に書かれた句なのだが、ちゃんと雨が降る位置、月が出ている位置に配置されている。
それがわかると、あめかんむりが出てくる句だ、月が出てくる句だ、季節、天気、花などが見えてくるようになる。文字ではなく、言葉が浮き出てくることを少しだけ実感できた気がした。
最後の展示場には、石川九楊さんの仕事が実にたくさん展示されていた。
論文原稿、下書き、下調べした資料、その膨大で精密な資料の数々は拝みたくなるような実物だった。
後期【状況篇】には、戦争を題材に書かれた作品もあった。最新、2023年にはロシアとウクライナの戦争について。
それらを前にして、これはきっと……と、書家が表しているものを文字ではなく、言葉、もっといえば言葉の先の祈りのようなものを感じるね、とまた同行者と思いを共にした。
正直なところ、何も事前に知識を入れていなかった。
でもその日の私にとってはそれが正解だった。
ロビーに戻ってきて、少しホッとする。
そこでは石川九楊さんがお話している動画が流れており、手がけられている日本酒・八海山のラベルの数々が展示されていた。
来年の大河ドラマ「べらぼう」の題字も展示されていた。
「言葉は雨のように降りそそいだ」
外に出ると太陽が容赦なく照りつけてきた。熱い言葉の雨を浴びてきた私たちは、
その後、昼食にアジアンフードを選択した。
さっぱり涼しい麺にしようか! とならなかったのは、石川九楊作品としっかり対峙したからだったんだとやや強引だけど思いたい。