日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
美味しいものを食べがてら、新緑の美しさを堪能しようと、DIC川村記念美術館へ足をのばした。
約3万坪の敷地内では、四季折々の木々や植物を楽しむことができる。
園内に多数植えられている桜の木には青青とした葉が茂り、藤棚は恐らく1~2週前が見ごろだったろう。
クルメツツジも気になったが、こちらは開放日が限定されているそうで、今は対象外だった。残念。
そんな庭園内には散策コースがあって、敷地をぐるりと一周することができる。
足元がふかふかとした土の上の小径は、少しの高低差があって、ゆっくり歩くのが気持ちいい。
どの場所で立ち止まっても見上げると木漏れ日が美しい。
時折吹き抜ける風も気持ちよくて、今日は美術館内の展示は見なくても十分という気持ちになった。
家族連れ、友達同士、恋人同士、ご夫婦、幅広い年齢層の方で園内はにぎわっていた。
途中にあるベンチに腰掛け、ゆっくりおしゃべりをしている人もいれば、
スケッチをしているのかなという人もいた。
のんびりぐるりと庭園をめぐってきた頃に、マップを手にしたどこかのご夫婦とすれ違った。この後の予定を相談しているのだろうか、そこそこの距離感のベテラン夫婦という感じだ。ご主人の声が聞こえた。
そこには私と夫の計4つの耳があったのだが、ご主人の声から以下の2通りをキャッチした。
A「樹木しかないよ」
B「15分しかないよ」
どちらも、「だからそろそろ帰ろう」ということなのだろうか。
Aの場合、そもそも庭園なのだから、樹木しかないよというのもなんだかおかしな気がする。でも美術館だから、外にも美術展示があると考えていたとしたら、
「外も観てみない?」という奥様の誘いに、
「でも樹木しかないよ」という返答だったのだろうか。
ちなみに、DIC川村記念美術館の庭園内には、ヘンリー・ムーアの≪ブロンズの形態≫をはじめ、6つの野外彫刻を観ることができる。
Bの場合、次の予定までのタイムリミットが、15分しかないよというタイムキーパー的役割を奥様がしていたのだろうか。
バスでの観光旅行などは来ていなかったから、集合までの時間が15分というわけではないだろう。
そうか、現在、美術展示の観覧は予約制になっているので、その予約時間までが15分ということだったとしたら、辻褄が合いそうだ。
結局、そのご夫婦はもちろん知り合いでもなんでもないので、真相はわからない。
「樹木」と「15分」、似て非なる。
散策を満喫した私たちは「樹木」か「15分」かを想像しながら、駐車場へと足を向けた。