拝啓、ステージの神様。 PR

目にズームした、ぱぷりか第7回公演『柔らかく搖れる』

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ステージには神様がいるらしい。 だったら客席からも呼びかけてみたい。編集&ライターの栗原晶子が、観劇の入口と感激の出口をレビューします。
※レビュー内の役者名、敬称略
※ネタバレ含みます

初めてのこまばアゴラ劇場でぱぷりか第7回公演『柔らかく搖れる』を観た。
家族の話だった。家族の話だけど個の話だった。

客席と舞台の距離が近いせいもあってやけに役者の目を見た。勝手にズームしたみたいに役者の目が気になった。

広島に暮らす家族の物語の始まりは大黒柱だった父親の死だ。
川の浅瀬で亡くなったという父の死の真相は乱視みたいにぼやけたまま、その妻、息子、、二人の娘、姪とその娘、息子や娘のパートナーや友人と、近所に住む息子に近い歳の男が出てくる。

初めに気になった目は、シングルマザー・ノゾミ(大浦千佳)の目だった。やけに力強い。語気の強さなど凌駕するような目力に、生きる力がみなぎっていた。
その娘ヒカル(山本真莉)の目も気になった。体温を上昇させないようにしている感じが目に表れている。でも熱があるのに温度が上がらないと、カラダに籠もってしまって危ない。彼女の体温をあげてあげなくちゃ、近くにいる大人が気づかなくちゃ、と苦しくなりながらヒカルから目が離せなかった。

酒ばかり飲む長男の良太(荻野祐輔)は、アルコールの力で目にも心にもカラダにも力の入らない状況に自分を染めていた。
本当は骨っぽく生きれる人なのだろう。正義感の塊みたいな人なのかもしれない。斜め下に目線を下げることで粉々になりそうなものをかろうじてせき止めていた。

その良太の妻・志保(佐久間麻由)はリアルな目だ。希望をギリギリまで捨てずにいたけど、やがて彼女が選んだのは、多くの人が共感しやすい選択かもしれない。けれど近づいて彼女の肩にでも触れようとすれば「あなたに私の気持ちはわかりっこない」そう突き放されるような気がした。そういう目だった。

長女・樹子(篠原初実)とそのパートナー愛(池戸夏海)には、誤解を恐れず言えば、田舎というフィルターが立ちはだかることに遭遇してしまった目だ。そこには怯えと願望が共存している。
ある人にとっては「え?いいじゃん、意味わからない、何が問題?」で、
ある人にとっては「本音を言えば自分の家族に限っては嫌だ」になるかもしれないLGBTQ…の問題。
でも二人が抱き合った時に目からつたった涙はきっとあたたかったに違いない。

次女・弓子(岡本唯)の目。そもそも大きな瞳だ。小さい頃には白目がきっと薄青かった瞳だ。でも誰のせいでもなくそれは少しずつ濁ったりする。あきらめとか、期待しないことと比例するように。そんなことを想像させる瞳だった。

医師の真澄(江藤みなみ)は自分が人生の主役じゃないと思い込んだ、思いを詰めてしまう人の目に似ていた。そんな人が近くにいた経験があるかは定かじゃないのに、そんな人がいたよなと思わせる目だった。

男・信雄(富岡晃一郎)の目は直視してはいけないような危ない目だった。それが表なのか裏なのかわからず、とにかく直視を避けた。

そして、母・幸子(井内ミワク)の目だ。笑わない目で、泣かない目で、感情がオフになった目だ。それは不幸なわけではないのだろう。実際、あまり目に感情を宿さないタイプの人もいる。彼女をお母さんとか、お義母さんとか、「おい」とか「お前」じゃなく下の名前で呼びかけてみたい。名前で呼んだ時の目を見てみたい。
あぁ、下の名は幸子、なのか。幸子さんと呼び掛けたら、どんな目でこちらを見てくれるのだろう。全く答えが出ない。

こんな風に登場人物たちの目にズームした私の心は、柔らかくどころか、ギザギザと搖れた。雨の音、砂利を踏む音がそのギザギザを助長した。
帰り道が砂利じゃなくてコンクリートで良かったなと思いながら、前だけを見て家路を急いだ。

[写真提供:ぱぷりか]

公演チラシは文字から何から柔らかく搖れています。じっと見ているとふわふわと浮きそうな、いや、ずぶずぶと沈みそうな、くらくらと目が回りそうな……。イラストは三好愛さんというイラストレーターさん。
拝啓、ステージの神様。
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