拝啓、ステージの神様。 PR

巴敷きで彼女を囲むように『川辺市子のために』

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ステージには神様がいるらしい。 だったら客席からも呼びかけてみたい。編集&ライターの栗原晶子が、観劇の入口と感激の出口をレビューします。
※レビュー内の役者名、敬称略
※ネタバレ含みます

セミが鳴いている。ジリジリと日差しが照りつけている。照りつけているのに薄暗い団地の四畳半。
サンモールスタジオで上演中のチーズtheater第8回本公演『川辺市子のために』を観た。

舞台中央に敷かれた四畳半の畳。巴敷きで敷かれている。
開演前、その四畳半を見ながら、実家の自分の部屋も四畳半だったけれど、果たして巴敷きだったろうか? と考えていた。たぶん違う気がする。
気がすると書いたのは、私の部屋は畳の上に絨毯敷きだったからだ。一般的にはよくないとされているけれど、ずっとずーっとそうだった。昭和の話である。

舞台中央の巴敷きの四畳半を囲むようにL字で並べられた椅子。ここに市子を知る人が座る。市子ではない名前で記憶している人も座る。
L字の反対のスペースには、私たち観客がいる。
真ん中の半畳が市子だとしたら、それを取り巻くように長谷川や北や、母・なつみや後藤がいて、それを取り巻くように私たち観客がいるのだなぁと思った。

そして川辺市子は、セミが鳴いているジリジリとした暑さの中を、ジリジリと生きていた。

2018年に同じ場所で観劇した際は、市子の叫びを浴びていた。
彼女の声に出せない叫びが、破裂してしまうんじゃないかなと思うような熱になっていたと表現していた。

この年、『川辺市子のために』と『川辺月子のために』の同時上演を観て、
そして2023年12月、映画化された『市子』を観た。

市子が生きた日々は、一言で言えばしんどい。
どうしてそう生きなければならなかったの? とやり場のない気持ちになる。
でも、市子はたぶん、私たちが気づけないかもしれない幸せを感じたことがある人だ。
私たちが大切にできていないことを、愛おしいと思える人だ。

なにを幸せに思うのか、なにを愛おしいと思うのか、それを懸命に振り絞る言葉の渦を聞きながら、
「もっと聞くよ。もっと聞かせてよ」と思い、市子を見た。
そして舞台『川辺市子のために』は終演する。

市子を三度演じたのは、大浦千佳さん。
初演から8年と少しが経過しているという。
強くなりすぎても、弱くなりすぎてもバランスが崩れてしまいそうな市子という人物を、
どうやってそこに存在させるのだろうか。
戸籍には存在しない川辺市子が、たしかに存在していることを、証明しようともがくのでもなく、そっと気配を消すでもない。
今日観た市子は、色にたとえたり、質感も思い出させない、そんな存在だった。私には。
川辺市子のために、何が出来たのだろう。
川辺市子のために、どうあればよかったのだろう。
その作品のタイトルだけをそのまま持ち帰ろうと思った。

セミが鳴いていた。ジリジリと日差しが照りつけていた。
その世界から階段を上がって外に出ると、雪が吹き荒れていた。
転ばないように、足裏に緊張感を持って歩く感じと、踏まれていない雪道に足を運ぶと思った以上にズボッと深い感じが、何かの感情と重なった。

市子映画の中にはさまざまな人生や日常がある。さまざまな人生や日常の中には、整理収納の考え方が息づいている。 劇場公開される映画を、整理収納目線を交えて紹介するシネマレビュー。今回ご紹介するのは、2023年12月8日公開の杉咲花さん主演『市子』...

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