旅の空から PR

旅のはじまりは、

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地球が好きな写真家 伊藤華織が、旅の空で素敵な人生の出逢いを綴ります。

私は、北海道では中規模の都市、北見市という街に生まれ育った。
昭和のバブルというものが終わりかけで看護師として社会人となったのもあり、海外への憧れがあったから、夏休みなど、まとまった休みができたら海外旅行に行くという生活をしていた。

私の海外渡航はあまり普通の人が行かないところかもしれない。
初めての海外旅行は、高校時代の友人が音楽教育で留学していたハンガリーの友人を訪ねる個人旅行。
2度目は青年海外協力隊で南米のエクアドルに行った友人の元へ行き、赤道のラインを跨いだり、アマゾン川の上流で泳いだ。
翌年には、その友人の協力隊の任期が終わる時期に合わせて共にチリに行き、イースター島で過ごすなどした。

37歳でカメラマンの道を選んだ私は、頭の中で「インド!それ、インド!」というコールに誘われ、「インドひとり旅行こう」と決めた。宿を探したり、各土地への移動は、インドに着いてから自分で調べて、自力で手配しようと軽〜く考えていた。

今ならば全て決めてもらい、知り合いと行き、地の利がある人にお世話になった方がいいと思ってしまう。
実際、その無茶っぷりは行く前日になって怒涛の不安となって押し寄せた。
「うわぁ〜、インド、女ひとり旅って、、、殺されたりして〜」とか不安が恐怖として押し寄せたのだ。

恐怖に慄きながら、20歳で2年間インド留学していた容姿端麗な友人に電話で相談すると、その友人曰く、「日本にいる時と同じにしていたら、問題ない。日本では知らぬ人に話しかけないだろうし、羽目を外さないだろう」との事。
「ごもっとも!」と思いつつ、ふと、個人旅行の友である『地○の○き方』のインド編の本の冒頭に目をやった。

ほかのどの国の『地○の○き方』の入り方とも違うはじまりだった。
※以下、記憶がやや曖昧で引用とは言い難いのをご容赦願いたい。

"インドを森に例えてみよう。未知のその森を「恐ろしい。蛇が出るのではないか」と思いながら歩くと、草木をそよぐ風音さえ蛇のしのびよる音に感じて出現にびくびくするだろう。そして本当に蛇や人喰い獣を呼び寄せる。「ほ~ら、やっぱりこの森(インド)は怖いのだ」と。
しかし、その森に興味を持ち、ワクワクしながら歩くその道は光と出逢いに溢れ、吹く風も光り輝く素晴らしいものとなるであろう。
インドも、怖いと思って通るか、出会う全ての人やモノを楽しむかである"と……。

そして、友人からのアドバイスと、『地○の○き方』インド編の冒頭文章という、2つの心がまえで、そのインドひとり旅体験を通して、物事の見方、考え方でいかようにも環境と交わっていけるのだという、旅のそして、その後の人生への教訓を得たように思う。

それにしても女ひとり旅。肌の露出は避けいつもよりもチープ(華美にならない)服で、旅をしたが……インドの女性達が美しいサリーで街を闊歩している姿を見て、ああ〜私になんて、誰も目に留めないわなぁ〜と、まだまだ不安があった自分に苦笑いしたことも記憶している。
今となっては、インドひとり旅をどうしてしたかったのかは、はっきりとはわからない。
インドは呼ばれないといけぬ場所。「私はインドに呼ばれたいんだ」というのが、不確かな動機だったと思う。

そして今日。コロナが何かまだ名前がわからぬまま、中国の市場でなんらかのウィルスが蔓延したぞと騒がれはじめた2020年の国境封鎖直前に渡航していたインドのお隣、ネパールの山岳地帯に行くために2年ぶりに飛行機に乗る。

今回の旅の大きな森はどんな美しさとワクワクをもたらしてくれるのか。いまから、心を澄ませて感じていこうと思うのである。

*写真は、成田空港に向かう新宿バスタ発のバスの電光掲示板

文・写真・伊藤華織(Kaori Ito)
集中医療・救急医療の現場で看護師として25年間従事する。
生と死の迫る医療の現場で自身が感じた、生きることの 稀有さ、そこに宿る喜び、失うものへの愛情と感謝を被写体を通して伝えたいと、写真家・映像作家に転身。
2011年より病院の緩和ケア病棟でのポートレート撮影活動をスタート。2020年、コロナ禍による病院の面会制限強化に伴い、家族すら会えない個室で過ごされる患者の方に向けた映像配信「ハートフルビジョンプロジェクト」を企画。死への不安や、孤独などによる不眠が少しでも和らぐように、朗読映像を制作し配信活動を行う。