誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。
今回アンフォゲ飯を語ってくれたのは、遺品整理士でクリンネストの古中征太郎さんです。
-- 古中さんのアンフォゲ飯は、おばあちゃんの手作りの味と伺いました。
古中 ずばり肉団子です。オシャレに言うとミートボールですが、コロコロの可愛いお弁当に入っているようなミートボールではなく「肉団子」なんです。大きさでいうと、普通のミートボール3個分くらいはあるでしょうか。
-- 直径でいうと……。
古中 直径5センチくらいあったかな。普通のお弁当箱に入れると厚みがありすぎて、蓋を閉めるためにはちょっと潰さないと閉まらないくらいの大きさでした。
-- おばあちゃんが一生懸命こねて丸めて作る感じでしょうか。
古中 そうですね。僕は作っているのを見たことはないですけど。肉はたぶん牛豚の合いびきだったと思います。うちの祖母は岡山出身なんですけど、たぶん岡山の方から習ってきたものだと思います。というのも、こちらで作ってもらったのを食べた時に、東京の味じゃない、変わった味だねと言われていたのを聞いたことがあるんですよね。祖母は戦後、祖父が仕事のために上京するのと同時に東京に来ました。
-- 肉団子の特徴を教えてください。
古中 まずはインパクトのある大きさですね。味は甘辛煮で、おそらく片栗粉でとろみをつけていたんだと思います。肉団子には玉ねぎも入っていましたが、細かいみじん切りというのではなく、結構ざっくりした大きさで入っていました。肉団子が大きくてゴツゴツしていたという印象が強く残っている理由は、このざっくり玉ねぎが入っていたからだと思います。
-- ふわふわor噛み応えあり? 肉団子の食感など特徴を教えてください。
古中 もうそれは、噛み応えがある肉を感じる肉団子です。僕は2~3歳の頃から祖父母と一緒に暮らしていたということもあって、普段の食事は肉より魚系や野菜の煮物が多かったんです。そうした中でたまに出てくる肉料理、それがでっかい肉団子でした。
-- 楽しみだったからより印象深いのですね。
古中 はい。朝ご飯は鮭定食、夜は煮魚や焼き魚、たまに豪華な時はお刺身が出てくるみたいな感じで、本当に肉が食卓に出る機会は少なかったと思います。
ハンバーグやシチューが出たことも記憶にはありますけど、それは今思うと、孫のために頑張って作ってくれていたんだなと思います。
-- その頃のおじい様、おばあ様は年齢で言うと……。
古中 50代後半だったと思います。おじいちゃんが現役で働いていて、退職後に違う職場で働き始めたところに会いに行った記憶があるので、肉団子を一緒に食べていた頃はバリバリの50代だったのではないかと。
-- 子どもの頃、好き嫌いはありましたか?
古中 実は結構ありました。嫌いなものはピーマン、ナス、ニンジン……まあ、子どもが嫌いな野菜ですね。今になれば旬の野菜がおいしいなと思って食べます。でも肉団子の中のゴツゴツ玉ねぎは食べれましたね。
-- その思い出の肉団子に似た味に大人になってから出会ったことはありますか?
古中 それがないんですよー。甘辛のとろみダレがついた似たような肉団子はあるんですけど、味が違うんですよね。幼稚園は給食じゃなくてお弁当だったので、そのタレのからんだ肉団子が入っていたこともありました。
ご飯の話からは逸れますが、僕の家は幼稚園にとても近かったんですけど、どうしても送迎バスに乗りたかったので、わざわざ幼稚園と反対方向のバス乗り場まで行って、大回りして幼稚園に通ってました。孫の希望を叶えてくれてたんだなぁと、今、思うとありがたいですね。
-- やさしいおじい様、おばあ様だったんですね。
古中 でも躾にはかなり厳しかったですよ。例えば、肘をついてご飯を食べたりした日には、おじいちゃんがおばあちゃんに食卓の上を全部下げさせて、作文用紙に反省文を書かされました。書き終わるまではご飯食べられませんと言われて、もう泣きながら書いた記憶があります。
片づけにもうるさかったので、勉強机の上のものも終わったら全部片づけるように言われましたね。消しゴムのかすが散らかったままなんてことは許さない祖父でした。
-- もしや、今の仕事の原点なのでは?
古中 そうですね。たぶん基礎の基礎にはそれがあると思います。祖父と祖母とは途中少し離れた時期もありましたが、僕が20歳になるまで一緒に暮らしました。
-- おばあ様の肉団子の味は、どなたかが継いでいらっしゃいますか?
古中 叔母の家に行った時にたまたま肉団子が出て来て食べたら同じ味だったんです。同じ形、同じ味、完全コピーでした。叔母に伝えたら、「だって私はお母さん(古中さんにとっては祖母)からしか教わっていないから、この味しかわからないもん」と言ってました。びっくりしましたね。それからは、叔母の家に行って「何食べたい?」と聞かれたら肉団子をリクエストしています。
ちなみに、その他の料理は全然おばあちゃんの味とは違うので、それも不思議ですよね。
晩年、おばあちゃんに肉団子が食べたいとリクエストしてみたこともあったんですが、歳を取ると料理も作るのが億劫になってしまうらしく、食べられなかった思い出もあるので、今なら叔母さんが再現してもらえるのはありがたいですね。
-- 叔母さんもその肉団子は好きな味だったのかもしれませんね。
古中 そうですね。そのほかは旦那さんの好みの味付けとかになっているのかもしれませんよね。
おばあちゃんの味と言えば、近所の町中華のメニューにあった親子丼がおばあちゃんの作る味になぜかすごく似ていたんです。隣には子どもの頃から通っていた床屋があって、おばあちゃんが亡くなった後も髪を切りに行ってました。行くとなつかしがって隣の中華店から出前を取ってくれたりして、僕がリクエストすると「また親子丼かよー」なんて言われてました。古き良きご近所づきあいがありました。残念ながらその中華店も床屋も今は閉店してしまいましたが。
-- 素敵な関係を継続されていたのですね。お店の方も古中さんの印象が昔と変わらないのが嬉しかったのではないですか?
古中 変わらないといえば、その床屋さんから僕はゴリ君って呼ばれていたんです。理由は床屋に行く時にいつもゴリラのぬいぐるみを持って行ってたから。そのぬいぐるみ、今も持っています。おばあちゃんが何かをリメイクして毛糸で編んだ水色のセーターが着せてあるんです。このゴリ君は僕にとってはメモリーといえますね。
-- 素敵な思い出の味のお話をありがとうございました。でっかい肉団子、食べたくなりました。
イラスト/Miho Nagai