私のアンフォゲ飯 PR

その時、父はカツカレーが食べたいと言った

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誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。

今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、人材育成のプロ、キャリアコンサルタントとしてご活躍の田中淳子さん。ご家族との食の思い出についてお話しいただきました。

-- 田中さんは食や食事に関して何かこだわりをお持ちですか?
田中 私はあまり外食はせず、基本的には一日3食作る、家のキッチンに立つというのを心がけています。節約の意味もありますが、25年ほど前から器にはまっていて、それを活かすために家で料理をするというのが習慣化しています。実はものすごい数の器に囲まれて暮らしているんです。

-- さっそく気になります。具体的にどういう器を所有してらっしゃるんですか? 
田中 家には工業製品はほぼなくて、いわゆる作家ものを集めています。陶器、ガラス、磁器、木工、金属に至るまですべて作家もので、特にこの15年くらいは個展に行くなどして、真剣に器を集めています。40~50代の作家さんの作品が多いですね。朝ごはんが上手く作れたら、器とともに写真を撮ってSNSにアップしたりもしています。ごはんが好きというより何より、器が好きですね。
きっかけは、関西出張のついでによく訪れていた奈良の「ならまち」で器専門店に入ったことでした。作家ものに出会い、何度も通いながら、器への興味がどんどん広がっていきました。都内のギャラリーをめぐったり、クラフトフェアにも訪れたりしている内に、知り合いの作家さんも増えていき、個展のご案内をいただくようになるなどして今に至ります。

-- その器がお好きなことと、今回のアンフォゲ飯はつながっていますか?
田中 いえ、全然つながりはないです(笑)。私自身の忘れられない味、食事についてというのは特になく、あの店のあの味をまた食べたい! というのも特に思いつかないのですが、食事といって記憶がよみがえるのは、2020年に88歳で亡くなった父のことです。
昭和一桁生まれの父は、絵に描いたような昭和の男でした。特に食事に関しては、とても厳しかったんです。夕飯は毎日6時半と決まっていて、1分でも過ぎると怒りだすような人でした。のんびり屋の母にいつも「ほら、そろそろ6時半になるから、支度しないとお父さん怒りだすよ……」というように、私や妹のほうが焦っていたことも多かったですね。
今思うと、父があんなに食事、特に食事をスタートする時間に厳しかったのには、父なりの理由があったようです。時間を急かされても母は気にせず、「そんなにいつも都合よくは出来ません」などと言い返したりもしていて、私たち姉妹はハラハラしていましたが、勤務医だった父は、外来が長引くことも多いので、食事を決まった時間に出来ることなどほぼなかったわけです。だから家にいる時くらいは決まった時間に食事をしたいんだと主張していました。

-- お父様にとって家での食事は暮らしの中での最重要項目だったんですね。
田中 そうなんです。昭和一桁生まれの父は、なんでも自分が決めたことを実行させたい人でした。例えば、毎年12月30日は家族でフグを食べるのが恒例行事。その日はフグ刺しとフグちりを買ってきて、家族で鍋を囲みます。娘たちが巣立った後も、これは続いていて、秋頃になると早々と「今年の12月30日は来られるのか?」と私たちに確認するほどでした。
その父が2014年の年末に体調を崩し、食べ物を受け付けなくなってしまったんです。あんなに食へのこだわりがあったのに、何も食べたくないと言って弱っていき心配しました。
その時、数年前に私の母が自分の母親(私にとっては祖母)の介護をしていた時期に、よくミキサー食を作っていたのを思い出しました。ミキサー食なら父も食べられるのではないかと思い、ご飯はおかゆやおじやにして、味噌汁は、たくさんの野菜や豆腐などタンパク質も入れたものをミキサーで混ぜトロトロにして出したら「これなら食べられる」となんとか食べてくれたんです。
以来、「淳子のスープが飲みたい、淳子のスープなら食べられる」と言って、命をつないでくれました。

-- それからはお父様はご自宅で過ごされたのですか?
田中 介護施設に入りました。体調が回復してきた後は、施設でも楽しみといえば食事くらいだったと思います。面会時に持参したお寿司を家族で食べたりもしましたね。その後は、胃潰瘍を患い緊急入院を余儀なくされたこともありました。病院や介護施設にお見舞いに行くと、私たち姉妹は「何か食べたいものはある?」と父に訊ねます。

-- 家族はやはり、好物を食べさせてあげたいという気持ちになりますよね。あのスープがリクエストされたのでしょうか。 
田中 それが、食べたいものを聞くと「カツカレー」と答えるんです。もちろん体が弱っている状態ですから、カツもカレーを食べられるはずもないのですが、聞けば決まって「カツカレー」と言っていました。2020年、老衰によりいよいよ衰弱してしまった時もやはり食べたいものを聞いたら「カツカレー」と答えたんです。コロッケやカツなど、洋食は好きでしたが、体が弱ってる時に限って食べたいもの=カツカレーと答えていたのは本当に謎でした。

-- ご家庭で出てくる「カツカレー」が特にお気に入りだったのですね。何か思い出はありますか?
田中 それが「カツカレー」と聞いても私たちはピンと来なかったんです。家ではトンカツを作ることも、カレーが出ることもありましたけれど、「カツカレー」は家のメニューとしては全くスタンダードではありませんでした。だから父の口からそのメニュー名を聞いても「そんなに好きだったっけ?」という感じなんです。結局、なぜ「カツカレー」だったのか私にはわからずじまいでした。
でも
亡くなってから数年、父の命日には、母、私、妹の3人がそれぞれの家で「カツカレー」を食べて報告しあったりしましたね。

-- 今、改めて感じるお父様への思い、お聞かせください。
田中 私たち娘には十分な教育を受けさせてくれましたし、家族を旅行に連れて行ってくれたりもして不自由なく育ててくれました。ザ・昭和の男という感じで家では常に君臨しているタイプでしたから、晩年はせっかく面会に行っても怒り出す前に早めに切り上げることもありました。もう少し穏やかに話してくれるタイプだったら、父がどういう気持ちで医師として働いていたのかなど、キャリアコンサルタントとしても父のキャリアについてインタビューしてみたかったなと思います。

今回、この取材のお話があったので、改めて母と妹に、父がカツカレー好きだったことについて聞いてみました。
「佃(下町)出身で、昭和一桁だから、カツなんて高級で食べられなかったんじゃないの?とんかつはとにかく好きだったわよね」と母。
「子どものころ、車で出かけてSAに立ち寄ると、お父さんは必ずカツカレーを頼んでいたから、好きだったんじゃない?」と妹は話してくれました。今一つ、原点は不明ですが、きっと父はカツカレーが大好物だったのだろうと思います。

-- こんな風に食をキーワードに家族で思い出を改めて話してみたりするのは面白いですよね。お話をうかがってみて、自分がその立場になった時、何を食べたいと口走るのだろう、なんて思わず考えてしまいました。ご家族の大切なお話、聞かせていただきありがとうございました。

イラスト/Miho Nagai

田中淳子(Junko Tanaka)さん
トレノケート株式会社 国家資格2級キャリアコンサルティング技能士、国家資格キャリアコンサルタント、産業カウンセラー、整理収納アドバイザー1級、ルームスタイリスト1級
コミュニケーション、OJT、キャリア開発などビジネススキルを中心にコンテンツ開発、企業のお悩み相談、コミュニティ運営、講師などを務め、組織をより良くするとともに、働く個々人がよりハッピーになるお手伝いに力を注いでいる。著書に『はじめての後輩指導』(経団連出版・2006)、『ITエンジニアとして生き残るための「対人力」の高め方』 (トレノケート都川信和と共著/日経BP社・2016)、『事例で学ぶOJT: 先輩トレーナーが実践する効果的な育て方』(経団連出版・2021)など。
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