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前代未聞と言われた経験

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

「前代未聞」という言葉を使ったり、使われたりしたことがあるだろか。
「前代未聞とは…あまりにもふつうとちがっていて、いままで聞いたとがないこと(三省堂国語辞典 第八版)」とある。

試しに、Yahooニュースのサイトに「前代未聞」と入れて検索してみたら、
2~3日内に3つもこの四字熟語を使ったニュースがヒットした。
新幹線の中で初めて行われた新幹線プロレスのニューズにも「前代未聞」がついていた。

そんな突拍子もないことはすることがないのだが、この四字熟語を聞くと私はこの言葉を目に耳にした大学時代を思い出す。
それは小さな大学の小さな部活動内での出来事だった。

私が所属していたのは筝曲部。文系大学の女子部員しかいない地味な部活動ではあったが、
サークルではなく部活動だったので!? なかなか練習はハードだった。
上級生は、すぐ上の学年が2人、もう一学年上が1人で、部員不足は否めなかった。
私たちの学年は6名入部したため、何かと心強かったことを憶えている。

筝曲部では、基本的に週3回の練習があり、そのうち1回は外部から先生をお呼びして指導いただくというスケジュールだった。
先輩から順に先生に指導いただくので、下級生はひたすら正座して待つ。
最上級生は就活などいろいろあるから、練習が終わったら「お先に失礼します」というのが慣例だった。

嗚呼、今、書いているだけでも足か痺れてくる。
したがって土曜日の筝曲部員は基本的にロングのフレアースカートだった。
ジーンズなんてとんでもない、タイトスカートだって無理……だった。

その筝曲部では、毎年、夏と春に合宿もあった。
私は大広間のある民宿を手配する係を2年目から担った。
と言っても当時、学生の団体旅行を手配する旅行会社があり、条件に合う宿をいくつかピックアップしてもらい、手配をするという流れだった。
まだネットやスマホでポチッと直接予約……なんてことがない時代。
まだインターン制度などほとんど存在せず、アルバイト以外で外部の社会人と打ち合わせをすることで、いっぱしの大人になった気分でフンフンしていた時代だった。

1年生の頃だったか記憶が定かではないが、その合宿先にはビールの自販機があった。
アルコールは顧問を交えた最終日の夕飯時のみと決まっていた。
「この日は瓶ビールを何本プラスしてください」なんて打ち合わせをするのだ。
部長が顧問にお酌をする……みたいな、今ならまあまあアウトかもしれない慣例もあった。

おそらくこの夜だったろう。
私たちの学年は皆、アルコールがいける口だった。
夕飯が終わり、解散となり部屋に戻ってから、私たちはビールを自販機で追加購入して部屋飲みした。
もちろん泥酔するとかそういうアホなことはなく、「ちょっと飲み足りなかったよね、お疲れ!」のテンションだったと思う。

これが先輩から見ると「前代未聞」の出来事だったらしい。
どう知られたのか、ペロッと話したのかなどは全く記憶にないが、1~2年後にそれは発覚した。
門外不出の部長ノートというものがあり、部長になった人だけが、歴代の練習や合宿時の記録をチェックできることになっていた。
私はお気楽な渉外担当だったのだが、部長になった同級生が過去のノートを遡って読んだ時に、1年生が部屋でビールを飲んでいたことを「前代未聞の出来事」だと記されていたらしい。

いや、もしかしたら「前代未聞」は別のことについて言われていたのかもしれない。
はたまた、あらゆる態度を総合してそんな風に評されたのかもしれない。
誓って言うが、そんな言葉を使われるほどのことはしていない。
物怖じしないタイプや、楽しいほうがいいじゃんみたいなタイプがいて、同学年が6人いたから悪目立ちしたのかもしれない。
「私たち、前代未聞だったんだって……」と言いながら、ケラケラ笑っていた気がする。

あれから数年の後、私たちが所属していた筝曲部は部員数の確保がままならず廃部になった。それはそれで悲しいというか、残念だったけれど、
四字熟語きっかけでエピソードが出てくるように、いくつものワードから記憶は辿れる。
当然、記憶など曖昧で、すでにいろいろ上書きされている可能性もありそうだ。

先日、山形の郷土料理のお店で、芋煮汁をふうふう飲み、日本酒飲み比べを一緒に美味しくいただいた友人は、ノートに「前代未聞」の文字を見つけてシェアしてくれた
私たちの代の部長である。