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いい湯だな♪には違いない

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

暖かくなってくると窓を開けている時間、正確には網戸にしている時間が長くなる。
そうすると聞こえてくるのは周りの家からのいろいろな音。
集合住宅に暮らすわが家は、両隣りの生活音というのがあるが、まあさほど気にならない。
たまにお隣のママさんがぶち切れたり、お隣のパパさんが大声出したり、お隣のお子たちの大運動会的足音が聞こえたりするが、まあそれはきっとお互いさまなのだと思う。
わが家は大笑いはあるけど、大声はない。運動会はないけど、象がいる?と思われているかもしれないし。

で、今日はお隣の話ではない。
庭の向こうの一軒家あたりからの音というか声の話。
庭の向こうの一軒家は、まったく接点がない通りの方の家だ。
だから家族構成とかもわからないし、そもそも顔を合わせることがない。
わが家が庭に出ていたとしても、その家の裏手にあたるので、出くわすことがないわけ。

その一軒家から定期的に聞こえてくるのは、お風呂で気持ちよさそうに歌う、男性の歌声。
男性というか、男の子。少年? いや、青年?
お風呂で歌うのが気持ちいいのはもちろん知っている。
きっと毎晩、全国各地のお風呂では歌声が響いているはずだし。

わが家の庭を軽々と飛び越えて聞こえてくる声の主を、仮に少年Aとしよう。
少年Aはとにかく声が大きい。
それをよしとしたとして、少年Aが何の歌を歌っているかは微妙にわからない。
聞いたことありそうで、でも微妙にわからない。
いつも同じ歌というわけではなさそうだ。
加えて、少年Aの歌声は音程が微妙だ。
音痴というわけではないが、決してうまくはない。
気持ちよさそうな歌声と実力のバランスがおもしろいほどに合わない。
毎回同じ歌というわけではないのに、何の歌か微妙にわからず、音程が微妙というこのループ。

暖かかった昨晩、久しぶりに少年Aの歌声が聞こえた。
やはり何の歌かは微妙にわからず、音程は微妙だった。
で、結構長いこと歌っている。
イラッとするまでには至らないのは、少年Aの声があまりにも気持ちよさそうだからなのだろうか。
そして昨晩、ふと気づいた。
少年Aのあの感じ、もうずいぶん年数が経つよね。
もう少年じゃないんじゃない?
全然上達しないよね?
そもそも家族は「うるさーい!」とは言わないのかな?

真実はまったくわからない。
これが平和ということなのかなぁと感じながら、わが家は今日もそっと窓を閉める。