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ひねくれなかったぞ

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

さほど遠くないけれど、遠くないからあまり降りることがない駅、行くことがない街がある。そういう場所に降り立つと、思わぬ発見があってそこから記憶の糸がするするとほどけるようなことがある。
「古いことをよく覚えているね」と言われるが、それは長い人生の中のほんの一場面でしかないわけで、。
忘れていることはすっかり忘れているし、その分量のほうがよっぽど多い。
でも、だから、せっかく思いだしたことは、こうやって書いておくのもいいなと思っている。

その記憶は、新小岩駅前のモンチッチくんとモンチッチちゃんの銅像を見たことがきっかけだ。
ちなみにモンチッチとは1974年生まれのキャラクター。
生みの親、ぬいぐるみの株式会社セキグチの所在地が新小岩にあることから2022年1月に設置されたそうだ。
1メートルの高さがあり、意外と大きい。
モンチッチといえば小さくて愛らしいイメージがあったので、少し驚く。
けれど、後ろ姿もこんな感じでキュートだった。
葛飾区内には、モンチッチ公園なる場所もあるらしい。

モンチッチで思い出すのは、ぬいぐるみをたくさん持っていた同級生のことだ。
私は小学校1年生から4年生まで、学童保育に通っていて、彼女とは家が近所で学童も一緒だった。
両親共働きで「鍵っ子」と呼ばれる小学生が通うその学童は私設で、近隣の3つの小学校から生徒が集まっていた。
私にとっては小さな社会を経験した初めての場所だった。

さて、その同級生がどうしてぬいぐるみをたくさん持っていたかというと、
彼女のお母さんが、関連する会社に勤めているからだったと記憶している。
家には本当にたくさんのぬいぐるみがあって、当然モンチッチやマイチッチもあった。
当時大人気だったシルバニアファミリーもかなりの数揃っていた。

家から学童まで行き帰りには、彼女と連れ立って行っていたのだが、
家にあがらせてもらうことも多かった。
鍵っ子にとって、親が帰ってくる前の無人の家はひたすらに自由な時間と空間だった。
彼女は一人っ子だったので、家の中にある子どもらしいものすべてが彼女のためのものだった。
私は2人の兄がいる末っ子だったので、私のためだけのものはほとんどないと言っても過言ではなかった。

たくさんのシリーズの中からもらった1体のシルバニアファミリーをとことん気に入って愛でていた。そして思っていた。
「大人になったら家族やハウスを自由に買って、楽しく飾ったり遊んだりしよう」と。

羨ましいとか、あの娘ばっかりズルいなぁといった気持ちにならなかったのは何故だろう。
思っていたのかもしれないけれど、それこそその記憶はすっかり抜け落ちている。

モンチッチちゃんはたしか1体あった。
それもいただきものだったのか、買ってもらったものかは覚えていない。
もしかして、今も実家にあったかも!?

大人になったら、の時期はとうに過ぎていて、結局
シルバニアファミリーも、モンチッチシリーズもコレクションすることなく今に至る。
モノは少なくても豊かに暮らしていたという意味では、
今よりいろいろ整理された環境だったのかもしれないと思うと不思議だ。
時代、といえばそうなのだけれど。

そういえばこれはもっと鮮明に覚えていること。
買い物に行くと、「おもちゃ売り場を見てくる」と言って、親から離れておもちゃ売り場で欲しいものをひたすらに見ていた子どもだった。
しばらくすると買い物を終えた母親が「帰るわよ」と呼びにくる。
私は「買って買ってー!」とダダをこねたことはない。
ダダをこねて、床に転がっている子を見るとシラけていた。
でも本当はいつか、「それが欲しいの?そんなに欲しいの?」そう言って買ってくれることがあるかもしれないという妄想を抱いていた。

「さ、帰るわよ」
でも、毎回聞こえるのは、「おもちゃ売り場を見てくる」という言葉通りにしか受け取らない母の冷静な声だった。

大きくなってから、このやりとりが度々あったが覚えているかと母に訊ねたことがある。
働きざかりで忙しかった母は、気持ちがいいほどその全てを覚えていないと言った。
「そんなことがあったかもしれないわね」みたいな言い方もしないドライな母だ。

ひねくれなかったぞ。という自分へのOK出しを昔も今もしている。