理由あって週イチ義母宅に通っている。
これは、主にその週イチに起こる、今や時空を自由に行き来する義母とその家族の、
ちょっとしたホントの話だ。
独居がいよいよ厳しくなった義母は、施設へ入所することになった。
出発前日の夜、夫と私は義母宅に泊まり、あまり眠れぬ夜を過ごしたというのが前回。
「おはようございます」
朝が来た。
ヘルパーさんがいつものようにやってくるのは午前9時頃。
義母とその息子とその嫁(私)は、その1時間くらい前に朝食を摂った。
朝食はトウモロコシ、小さなパン、ヨーグルト、コーヒー(義母はカフェオレ)。
義母には大好きなコーンスープも出した。
眠そうな義母は、ヨーグルトをちびりちびりと食べた。
いつもは「いい味!」と言うレトルトのコーンスープも無表情でちびりちびりと飲んだ。
会話はあまり、いや、ほとんどない。
正直いえば、皆、まあまあ眠いのだ。
そして夫と私は、この朝をあまり特別にしないようにするために、少し慎重になっていたのだと思う。
長く暮らした自宅のトイレの場所が度々わからなくなることが増え、独居に支障をきたしてきた。直接的な原因はないが、ここ数ヶ月それが顕著だ。
ベッドの位置を調整してみたり、衛生面云々は抜きにして、トイレの扉を開けっ放しにするなど策を練ってもきたが、一度入って出る時、義母はしっかりと扉を閉めるものだから、もう次からはわからなくなる。
几帳面は仇になることもあるのだ。
ちびりちびりと食べ進める義母に、夫が用意したものを出しながら言った。
「おかあさん、お腹いっぱいになった?どら焼き食べる?」
「食べる!」かなり食い気味に義母が返答し、顔がぱぁーっと明るくなった。
私にはぱあーっという効果音が聞こえた気がした。
夫は母親の大好物を用意していた。どら焼き、それもコンビニに売られている超シンプルなどら焼きである。
いろいろなことがわからなくなっていても、義母の頭の中で、「どら焼き=おいしいもの」は、かなり取り出しやすい位置に収納されている。
パッケージが開けづらそうだなと思っていたら。
「大丈夫、これは自分で開けるんだよ」と夫が確信めいた口調で言った。
その数秒後、義母はどら焼きを自ら開封し、満面の笑みでかぶりついた。
その様子は、先ほどのヨーグルトやコーンスープとは比べ物にならない。
施設に入れば、栄養士さんによるバランスのいい献立が毎食出される。
おやつだって工夫して出してくれるのだ。
でもこのコンビニのどら焼きを食べる機会はおそらくないだろう。
朝だけど、この日、どら焼きを食べさせてあげたいと思った気持ちは尊いなと思った。
私もここ1カ月くらいは、義母の好きなものをあまり細かいことを気にせず、優先的に用意してきた。
いや、考えてみればこの5年と4カ月、義母が美味しそうに食べる時間を気に入っていた。
※正しくは4年と4カ月でした
どら焼きを食べ終えた義母は雄弁になった。
そして、おいしく楽しく朝食を終えた。
ほどなくして担当ヘルパーさんがやってきた。
私たちはルーティンの着替え介助、服薬介助、血圧・体温測定などをヘルパーさんにまかせ、少しの間隣室で待機する。
「ご家族様がいるから今朝は血圧がとてもいい数字ですねー」
ヘルパーさんは私たちに聞こえる声でそう言ってくれた。
いつもとほぼ同じ時間に迎えの車が来た。
車の色も車種も行き先もいつもとは異なるが、義母は不安なく車に乗り込み、
私たちは明るく「行ってらっしゃい」と義母に声をかけた。
これまで義母に関わってくださった方のおかげ、これから義母に関わってくださる方のおかげ、そしてどら焼きのおかげのいい朝だ。
午後になり、夫が施設の方と業務連絡的やりとりを電話でした。
施設へ向かう車の中で、義母は鼻歌を歌いご機嫌だったそうだ。
良かった……。
すべてはどら焼きのおかげだ。