理由あって週イチ義母宅 PR

甘くない花はもうとっくに咲いていた

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理由あって週イチ義母宅に通っていた。
これは、今や時空を自由に行き来する義母とその家族の、ちょっとしたホントの話だ。

花椀最中は、本当はスープやみそ汁、茶漬けとして義母の腹に収まるはずだった。
かろうじて残っていた5ケのうちの2ケを、正しく湯を注いで食卓に並べた。

バラはコーンポタージュ、チューリップは白クラゲ入りの玉子スープをことが発覚した夜に義母と分けて飲んだ。

私はこの事実を夫に伝え、義兄に連絡とメッセージを入れてもらうようにリクエストした。
離れて暮らす息子は、母がどの程度物忘れというか、認知症が進んでいるかを知らない。
それはそうだ。毎週会っていたって、わかることわからないことがあるのだから。
だから、情報は共有してねと、とりなしたのだ。翌朝、私たちは思いもよらない事実を知らされることになる。
義兄が実家を訪ねたのは、その年の9月ではなく、一カ月前のお盆のただ中だったというのだ。
手土産の花椀最中は、2箱を持参し、一箱は義母へ、一箱は私たち夫婦へとのことだったらしい。
でも伝言は伝わるわけもなく、義兄が訪れていたことも知らなかった。
義母は時空を軽く旅する人で、この頃はもう朝の事は30分もすれば記憶の彼方へ飛ばす術を身に着けていたのだ、仕方がない。
それにしても、なぜ私たちは3週間以上あの割りと派手でそこそこサイズ感のある緑の箱の存在に気づかなかったのか。

私も夫もほぼ毎週あの家へ行き、家の中のあちらこちらを目にしているというのに。

夫に至っては、シーツや毛布を洗う回数が増えて、ベッド下に目を向けることも多いばかりか、泊まったりすることもある。
時空を簡単に行き来する力を身につけた義母は、モノまでも時空や場所を自在に操れるというのか……。
まだ私たちの知らない秘密の扉があの家には存在するのかもしれない。
謎に押し潰されそうになった私は、大切なものをしまいがちな電話台下の扉を今日もそっと開けた。
と、そこには、昼に開封したのと同じバラの最中のスープと同じ形状の空きトレー&袋と、スープの素があった。

あの愛らしいバラやチューリップの最中、甘そうに見えて無味の最中を義母はどんな顔で食べたのかは、なんとなく推理出来る。

でも、でもなのである。この電話台の下の扉もほぼ毎週開けてチェックしていた。
その時にはそれらしきものはなかったと断言できる。

フリーズドライ11ケをどんなペースでどれほど食べてしまったのかはわからないが、
先週食べ残しが多かった作りおきおかずが、今日はほぼカラだったということを鑑みると、
花椀最中をせっせと食べてしまったことが、おかずに手が伸びない原因になったことは間違いなさそうだ。8月から9月の間に、粉末のものが畳に散らばっていたことがあったっけ?
漢方薬をこぼしたのかなとスルーしていたかもしれないけれど、あれは最中椀の粉末だしだったかもしれない。かもしれないが続くのは、それを確認する術がないからだ。

義母宅ではこんな風に、一時なくなったものが、驚く場所から出てきたり、影も形もすっかりなくなっていることがよくあった。
義母は隠すつもりも、片を付ける気もないけれど、そういうことはよくあった。
この時感じたのは、お腹を壊してそれが原因で入院とか、血圧があがり救急搬送……そんなことがなくて良かったなということ。

そしてこの頃から私たちがモノを棚の上方に置くことが増えたことは、しっかり記憶している。