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彼の地〜セドナへの道①〜

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地球が好きな写真家 伊藤華織が、旅の空で素敵な人生の出逢いを綴ります。

そういう訳で、私は37歳までフルタイムの看護師として働き、37歳からプロカメラマンになると決めた。

退職金などで、プロ機種として最高峰のカメラと、カメラマンとして三種の神器的なレンズを3本買い、写真の学校も決め。。。

退路を断つ。もう後戻りしない。と言いますか、完全に形から入るタイプ。

"お金があるうちに、高価なもの自分にとって必要なものから揃えてしまえ〜"というタイプ。賭け事もそんなタイプ。。。

そして、退路を断つもう一つの決断は、"もう決して看護師には手を出さない!"と決めた。

どんな道にも、良いところと悪いところがあり、挫折が来た時に、私にとっては好きだけどやめた看護師は手っ取り早くお金も潤沢に稼げる。そして何より、カメラマンの道は自分に合わなかったと言い訳もできる。

一度看護師に戻ってしまうと、ぬるま湯と、心地よさに浸かり、中々新しいその道で生きていく意志が薄れて、諦めてしまうように思えていた。

しかし、撮ったか見たかでプロカメラマンとして食べていける訳でもなく。

あっという間に懐もさみしくなり、瞬殺で看護師の深夜勤務(夜中の0時〜朝の9時まで)の仕事をすることになる。。。

そんなこんなで、看護師の深夜勤務のアルバイトを週に4回しながら、昼間は写真の学校や、学校で知り合った知人経由で映画の現場やスチールカメラマンのアシスタントなどをした。

お陰様で、新たな道はやはり、新しい経験が新鮮で、どんなに大変でも色々な縁のお陰で学びが多く楽しかった。

そして何より、今まで会って話す機会がある方には伝えているが。

カメラマンになると決めた私は、“硬い硬い大きい×××が肛門に挟まったままのような感覚”なのである。

"×××を腸に引っ込める訳にもいかず、どんなに苦しくても出す(プロカメラマンになる)しかない。"  という、感覚で看護師に戻らずにカメラマンになれたのだと思っている。(ほっ)

そして、セドナまでの道はもう少し先の話。

さて、そんな訳で、写真の学校も2年と半年位通った。

学校に2年通った頃。その学校の企画として、海外で活躍されている日本人カメラマンの元に行き、スタジオやロケーション撮影を体験するというワークショップ企画があった。

旅好き、新しい経験が楽しみな私も、もちろん!参加を表明致した。

行き先はL.A.

楽しみに胸を膨らましていた渡航が近づいたある日、写真の学校に行ったら、L.A.でのワークショップを終えた後、個人で滞在を伸ばす方がいると。

。。。。。。。

"ええええ〜!わ、た、し、も〜!!"と、

海外個人旅に憧れ、駅○留学N○V○に13年位通っていた私は、悩む事なく5日間フライトを延ばした。

L.A.の帰りのフライトは延ばしたものの、天命が降ってくる訳でもなく。夏休みの宿題は、お団子のように夏休みの最終日にバタバタと泣きながらやるタイプ。

頭で、夢想はしつつ、宿などの予約もしないまま出発2日前。

流石にアタフタするが、予約まで中々手が伸びなかった。そんなさなか、看護師時代に共に働き、共に闘い、公私共にお世話になっている先輩と電話で話をしていた。

L.A.に行くこと。ツアーから離れ、フライトを延ばし一人旅をしようと思っているのに、まだ何にも決めていないことを話した。

そしたら、、、

『うちの兄、L.A.で旅行会社しているよ』と。。。

。。。。。。。

"あ~~~!!!!、お願いしたいです!!"と藁にも縋る想い。

直ぐに、先輩がお兄さんに連絡をとってくれた。

私は、昔〜から、エセスピラー(スピリチュアルや占い好き)。
L.A.とセドナが近い事をしり、セドナに行って啓示を受けたいと思いたった。

できるだけ節約したく、L.A-セドナ間を深夜列車で行こうと考えた。

程なくして、お兄さんから国際電話がきた。

L.A.から一人深夜列車でセドナに行きたい事を伝えた。

お兄さんは、私の夢想を全て聴いた後、

"伊藤さん。
アメリカは車社会。長距離移動は基本は飛行機であること。その次は車。車も無いような人が列車で移動します。女性の一人旅。深夜列車は危険だと思いますが、本当に深夜列車で行きたいですか?"

と。

。。。。。。。。

私は、写真の学校に渡航、ワークショップ代も支払い、なけなしのお金しかなく、列車以外の選択肢は無かった。

なので、お兄さんに"列車で行きたいです"と伝えた。

お兄さんは、少し考え、

"伊藤さんは、ラッキーを信じますか?"

と。

う〜む。

う~む。。。信じるしかないでしょうよ。

"はい。。。信じます。"

と、お兄さんに伝えた。

お兄さんは少し考え、

"分かりました。伊藤さんが、信じているならば、きっと大丈夫でしょう。僕が全て手配してみます。"と。

きゃ〜!

お兄さん最高です!!

そして、渡航の日、成田空港で全ての行程のスケジュールが整ったと連絡をもらう。

道、繋がりました。。。。

帰国後、看護師のその先輩とご飯を食べる事があり、その先輩が。。。

実は、この出来事の数年前に、東北に実家のある先輩が、L.A.でお兄さんの結婚式があり、高齢のお父様と脳梗塞後遺症で車椅子移動のお母様と共に、先輩がL.A.に行くことがあった。

その時、東京駅で東北から来るご両親の移動や荷物運びを私がお手伝いしていたこともあり。

先輩のお兄さんが、いつか、恩返しをしたいと思っていたとのことだった。なので、お兄さんは全力で私の旅の行程を整えてくれたとの事だった。

感謝感謝でございました。

ただ、手伝いたい。手伝えた事だけで胸が熱くなっていて、すっかり忘れていた。

忘れていた事とはいえ、善行はしとくものですね。。。

そしてまた、セドナへの道は次回へ。。。

文・写真・伊藤華織(Kaori Ito)
集中医療・救急医療の現場で看護師として25年間従事する。
生と死の迫る医療の現場で自身が感じた、生きることの 稀有さ、そこに宿る喜び、失うものへの愛情と感謝を被写体を通して伝えたいと、写真家・映像作家に転身。
2011年より病院の緩和ケア病棟でのポートレート撮影活動をスタート。2020年、コロナ禍による病院の面会制限強化に伴い、家族すら会えない個室で過ごされる患者の方に向けた映像配信「ハートフルビジョンプロジェクト」を企画。死への不安や、孤独などによる不眠が少しでも和らぐように、朗読映像を制作し配信活動を行う。

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