旅の空から PR

彼の地〜セドナへの道②〜地球のパワーを頂く編

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

地球が好きな写真家 伊藤華織が、旅の空で素敵な人生の出逢いを綴ります。

成田空港から一路L.A.に飛び立った。

写真の学校のワークショップでは、バクダット○フェみたいなロケーションで、
欧米風ガソリンスタンドや、アメリカ西部のカフェのようなハウススタジオで、ライティングをして、アメリカンポップみたいな写真を撮ったり、少し内陸に入り、西部の赤い土とサボテンなどがある荒野でストロボライティングでの撮影を楽しんだ。


L.A.で旅行会社をしている、看護師時代の先輩のお兄さんのおかげさまで、写真の学校のワークショップ中も、空いている時間を楽しんだ。L.A.の上空や西海岸を廻るヘリコプターのチャーター手配をしてくださったり、海岸沿いを案内してくれ、西海岸で美味しいという日本食をご馳走して頂いた。

L.A.で滞在した所はやはり、街中でも夜は歩いている人もいなく。車が行き来する車社会。

不思議なもので、
北海道の片田舎出身の私は子供の頃、凛とした静かな夜の路、誰もいないと安心して歩けた。

北海道から横浜の繁華街に住む様になり、夜の路、普通の歩行者が自分の他に歩いている事で安心だった。

L.A.の夜の路はというと、誰もいなくても、誰かいても恐いと思うほどヘタレで夜はほぼホテルに引き篭もっていた。


楽しく順調に写真の学校のワークショップが終了し、写真の学校の仲間達ともお別れし、いざ1人、セドナへと向かう。

泊まっていたホテルのローカルな駅から、中央の大きな駅へ向かう。

西海岸であるL.A.から東海岸のシアトルまで2日間36時間をかけてアメリカを西から東まで横断するアムトレイルという列車に乗る。

駅では、何処の何をみたら良いかも分からず、右往左往しながら駅員さんや優しそうなマダム達に聞きながら、ホームに向かった。

乗り込む列車は、日本では見たことも無いくらい大きく2階建てで、大きい座席でかなりフラットに近いほどシートを倒せた。等級も分かれていたような気がする。

乗り込むと、不安そうにしていたのが分かったのか、南米系が入った様な黒髪の若い女性が、親切に声をかけてくれた。

食堂車みたいな所にも連れて行ってくれたが、拙い英語力では上手いコミュニケーションも取れず。その彼女は、シアトルに住むお姉さんの、所に行くと言っていた。

車窓からの眺めは砂漠の様な所を通り抜け、途中途中でローカルな駅で停まり、幾人かが降り幾人かが乗った。一つ一つの駅での停車はゆっくりで時折、外に出たりしてみた。

その土地に息衝き、そこで生きて営みを送っている人たちが当たり前に生活をしている。
そんな事を想像すると、それぞれの街が愛おしくなる。

そして、夜、ウトウトはしたがセドナに1番近いフェニックス駅の通過は朝4時30分頃。

寝過ごしたら、、、を考えると、恐ろしくなった。

時折通過する車掌さんに、「私はフェニックスで降りたい。近づいたら教えてくれ、プリーズ、ぷり〜ず!」とカタコトの英語で懇願した。

フェニックスに近づいた頃に車掌さんがやってきてくれ無事に下車する事ができる。

あたりはまだ暗い。そこからはチャーターして頂いた車で片道2時間の道をセドナへ向かった。かなり高齢の運転手さんだった。車窓からは広大な大地から望む空が深い藍色から徐々に紅く薄明るくなる空のグラデーションが美しかった。

ちなみに、余談ではあるが、帰りもこの方の車で送迎される予定だった。
しかし、待っていたのは、マトリョーシカのような体格の、マトリョ―シカのような頭巾をかぶった、白髪の高齢のお婆さんで。

「夫は、今朝出る時に転んで唇の下が切れ病院で縫合をして来れない。だから代わりに私が来た」と。。。

運転は、ハンドルにしがみつき身を乗り出し、危なげに周囲のクラクションが鳴ると、どなる、、、
ぼやく、、、
途中で携帯に家族から連絡がくると、運転が危うくなる。。。
そのうち、家族と喧嘩する。。。途中で、携帯をブチっと切る。。。。。。。

それでも、わたしには「大丈夫、大丈夫」と言いながら、この運転をぼやいていた。

と言う、結構スリリングな帰路であった。

それは帰りの話し。。。

さて、セドナに着き、停泊予定のモーテルが早めに迎えてくれて、ベッドでぐっすりと眠った。

昼に起き、翌日から行動するための下調べのため近隣のステーションや、ツアー会社などを歩きながら確認した。

翌日より、地球のパワーが出ているボルテックスというところ、昔、ネイティブアメリカン(インディアン)達が祈りを捧げていた聖地を巡る。モーテルの近くで歩いても行けるエアポートメサをはじめ、バス移動や、ガイドさん付きでしかいけないパワースポットなども巡った。

セドナへの道①でも書いたが、エセスピラー(昔から占い好き、何か神の啓示を受けたがる。見えないものは在ると信じるタイプ。※ちなみに、宗教は、どんな宗教も、思想の集団化はあまり好きではありません。自分で自分の信じるものが好き。自然に神は宿る的な。神社、仏閣も好き、占い師も好き)みたいな感じの私。

地球の聖地だもの、ゴリゴリパワーが出てるところなんでしょうから、私も色々パワーを感じたい!! 啓示を受けたい!! 啓示を受けるに足る人物に違いない自分は自分になるために目覚めたい! “私はラッキーを信じています~!”“さあ来い、来たれ、私の元へ~”とそわそわ、聖地というところを訪れ、ワクワクそわそわしながら、巡礼する。。。

しかし、行けど、座れど、眼を瞑ってみたとて、な~にも感じず、啓示なんか訪れず、微塵も神聖な気持ちにもならず。。。

むむむむむ。。。。。。。。。。

おかしい。。。。。。。。

どこに行っても何かのサインがあるのではと、きょろきょろ、ドキドキ、どこかに、何か感じるんじゃないかとソワソワ。

しかしな~~~~んにも。。。。

そして、だんだん焦りだす。
焦りだす。。。

私は、看護師をやめ、自分の表現をしたい!!
自分の表現って、どれか、何かはまだ分かんないけどね!
超~、かっこよく、たくさんの人から評価されるような、カメラマン、写真家になりた~~~~い!!!
私は、地球の最高峰のパワースポットに来て開眼するんじゃね~の?!?!?!

私、そのために来たんですけど。。。。。

と。

しかし、な~んにも。ピクリとも感じず。。。

セドナ滞在最終日の朝を迎え落胆する私。

モーテルの朝食を食べ、後3時間でセドナを後にしなくてはいけない時間となる。

期待が高かっただけに落胆も大きく、さてどうしたものか。。。

しばし考え、
まぁ~しようがない。最後にもう一度歩いて行けるエアポートメサに行って帰ろう。。。

あ~、もう啓示やパワーをもらうなんて無理なんだろうな~と思いながら、どぼとぼ歩いてエアポートメサに行った。

すでに1人の女性が、座禅のようにあぐらをかき、遠くに見える景色を望める場所で目を閉じていた。おそらく瞑想というものをしていたのであろう。

私もその岩の頂上でうつ伏せになり、ひんやりする岩に頬をあて、眼を閉じて、ぼんやり、岩のひんやり感を感じた。

一言。。。。。。

『どこでもいっしょ(どこにいてもいっしょ)』

と、頭に降ってきた。。。。。

むむむむむむむ!!!!

『どこでもいっしょ』???

頭をよぎったのかはわからない。その言葉がハッキリと頭に。。。。。確かに。

。。。。。。。

そして、私は笑ってしまった。

ですよね。そうですよね。。。そうでしょうよ。。。

そこにしかないものはどこにもない。どこででも、気づきや、自分になることはできる。しかし。何かを外に求めていては、見つけられない。おっしゃる通りですよ。。。

というお話。

チャーターしていただいた帰りの車で、マトリョーシカのようなお母さんの運転の横で、
三○法師のお話しのような。『ガ○ダーラ、ガン○ーラ』と頭の中で歌って帰ったような気がする。。。

その啓示は、今でも笑える、でも私の中では大切な言葉となった。

文・写真・伊藤華織(Kaori Ito)
集中医療・救急医療の現場で看護師として25年間従事する。
生と死の迫る医療の現場で自身が感じた、生きることの 稀有さ、そこに宿る喜び、失うものへの愛情と感謝を被写体を通して伝えたいと、写真家・映像作家に転身。
2011年より病院の緩和ケア病棟でのポートレート撮影活動をスタート。2020年、コロナ禍による病院の面会制限強化に伴い、家族すら会えない個室で過ごされる患者の方に向けた映像配信「ハートフルビジョンプロジェクト」を企画。死への不安や、孤独などによる不眠が少しでも和らぐように、朗読映像を制作し配信活動を行う。

※当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。