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櫛なんて夢のまた夢

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッ
セイ、つまりクリッセイ。

ショートカットにしたのは、28、9歳を過ぎてからのことだ。
子どもの頃はとにかくサラサラのロングヘアに憧れていた。
櫛で髪をとかすなんて夢のまた夢だった。

シャンプーのコマーシャルを見ては、ため息をつき、
クセっ毛で片方だけはねる髪や額でパカッと割れる髪に
こんちくしょうと思っていた。

三つ編みにするとしめ縄のように太くて、
でも編み込みが上手に出来るようになると、それはちょっと嬉しかった。
自分の編み込みは出来るのに、なぜか人の髪を編み込むのは上手くできなかった。

ほどくとぐりぐりの髪になって、昔流行っていたソバージュ気分を一瞬味わえた気になって、
でもそれは全然違うものだと気づいてはいたので、チェッと思っていた。

風呂上がりで髪が濡れているほんのちょっとの間だけストレートヘアになれた気がして
でもあっという間に乾燥してうねっとなって、チェッと思っていた。

もっと幼い頃は、からまった髪の毛をブラシでぎゅんぎゅんされながら、
母に髪を結んでもらった。
痛い痛いとブーブー言いながらも結んでもらっている時に、
「娘の髪を結うのが夢だったのよ」と言われた記憶がある。
こんな素直な言葉を母が口にしただろうか。
でもなんとなく記憶があるのだ。
だから髪を伸ばしているのはちょっと母の希望を叶えてあげている気になっていた。

小学校に上がる時、おかっぱになった。
たしかシラミなんかが流行したりして、短い方がいい……みたいな話だったように思う。

しかし、これが暗黒だった。
スキばさみも使って、母が私の髪を切った。
小1になる私の顔はショートヘアが全く似合わなかった。
あのタイミングで完全に、世の中には可愛いと可愛くないがあると自覚した。
何より、私の髪はいわゆるつるんとしたおかっぱにはならず、
毛量の多い、乾燥して膨れがちの、どちらかがうねっとはねる、
いいとこなしの髪型だった。

月日は流れた。
何がきっかけだったか今は思い出せないが、思い切ってショートカットにすることにした。
段階を少し踏んでいたかもしれない。

働き始めて、美容室で髪を切ることも稼いだ証……みたいな思いが強かった。
スタイリストを指名し始めて少ししてからのタイミングだったはず。

結果、ショートカットがしっくりきた。
同僚も「いいね!」と口々に言ってくれた。
「そんなに、こっちのほうが断然いいって言うならもっと早くすすめてよー」
なんておどけたことも記憶している。

あの、ベソをかいてた朝も、はねる髪を見て暗黒気分に支配されていた日も
ティモテのCMも超えて、
私のくせっ毛は、「くしゅっとしたパーマ風」みたいなものがパーマなしで再現できる髪質という称号を得たのだ。

あれから月日は流れた。
まだかろうじて、ショートカット歴は、ロング歴を抜いていないが、
まあ、そのうちそういう年がやってくるだろう。

でも実のところ今でもサラサラのストレートヘアの人を見ると、
心の中で「あなたには私の気持ちは到底わかりっこないわよね!」みたいな
やっかみの気持ちを吐いてしまう。
そういえば、サッラサラのストレートヘアの姪には心の中じゃなくて口に出しちゃってたな。