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Vol.25『尊』

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気がつけば、我が家には十数枚の骨董の器がある。
その器たちとの出会いはさまざまだ。古いものは、もう30年近く前に出会っている。

20代後半の頃、勤めていたインテリアショップの店長が骨董の器が好きな人で、あるときスタッフと一緒に自宅に招かれ、手料理をごちそうになった。
そのとき目にしたのが、センスよく使われた骨董の器たちだった。
「こんなふうに器を使えたら素敵だな」と憧れたことを覚えている。

その店を辞めることになったとき、店長が「よかったら使って」と、集めていたコレクションの中から印判の小皿と角皿を2枚ずつ譲ってくださった。それが、私の骨董との最初の出会いだった。

生まれ育った町の近くには、昔の宿場町があった。そんな土地柄もあって、古いものにはどこか馴染みがあるのかもしれない。
好きだなと思いながらも、20代、30代は金銭的にも時間的にも余裕がなかった。子育ての時期にはなおさらで、自分で買い集めることはなかった。

ようやく「何か探したい」と思うようになったのは、40代に入ってから。
2013年、仕事仲間と京都へ旅行したときに、明治時代につくられた微塵唐草柄のなます皿を1枚購入した。その後も、仕事で訪れた松本で小さな小鉢を買ったり、青山の骨董店で手塩皿を見つけたり。
旅先や、ふと立ち寄った店で気に入ったものがあれば、少しずつ迎えてきた。
だから、そうそう増えるわけではない。
けれど、我が家にやってきた器たちは、しまい込むことなく、どれも日常的に使っている。

8月の暑い盛り、数年ぶりに京都へ出かけた。
今回の旅の目的の一つは、以前から行ってみたかった骨董の店を訪ねること。ひとり、いそいそと出かけてみると、店内には私ひとり。
床から天井近くまである棚には、器、器、器……。積み上げられた器の数は圧巻で、その中から好みのものを探すのは、なかなか大変だ。
そこで、今回は器の種類を絞ることにした。
選んだのは、使い勝手のよい手塩皿。
今まで持っているような伝統的な柄ではなく、少し変わったものが欲しいと思いながら眺めていると、目に飛び込んできたのは、青い龍が描かれ、縁に金彩が施された皿だった。
赤や緑もポイントに使われていて、華やかで素敵だ。

「これ、いいな」と思っていると、その近くに別の図柄の皿を見つけてしまった。
こちらは、人なのか、猿なのか。
3人の人物が描かれていて、それぞれ表情が豊かで、なんともほっこりする。
あっさりと、龍から人物へ心変わりしてしまった。
なぜなら、同じ図柄のはずなのに、一枚ずつ描き方が違うのだ。
その違いを眺めていると、絵付けをした人のおおらかさや、楽しみながら筆を動かしている姿まで想像できるような気がした。

「こっちの方がいいかな?」
「これもありだな」
そんなふうに、描いた人が一枚一枚を眺めながら、楽しんでいたのではないだろうか。
もちろん、本当のところはわからない。
でも、そんな想像ができることが楽しい。
同じ図柄の皿を10枚ほど台の上に並べて、その中から「この2枚」と思うものを選んだ。

100年、200年も前につくられた器。
それが長い時間を越えて、今ここにある。
そして今度は、私の家の食器棚に並び、料理を盛られ、日々の食卓で使われていく。
誰がつくったのかも、誰の家で使われていたのかもわからない。
それでも、残ってきた。
そして今、私の手元にある。
そう思うと、なんだか不思議で、うれしくなる。
眺めているだけで想像が膨らみ、心がふっと動く。
そんな器に出会えたら幸せだ。
100年、200年前の器を、今こうして自分が使えるなんて。
なんと尊いことだろう。

『尊』
神聖で崇高であることや、きわめて価値が高いことを表す言葉。

お気に入りの器たちをもっと使いたくなって、食器棚のお皿の位置を見直し、入れ替えをした。
料理を盛ってみると、
「この色合わせ、素敵!」
「この料理には、この器が合うな」
と、また新しい発見がある。

古いものを大切にするというだけではなく、今の暮らしの中で使うことで、器との新しい時間が始まる。
そんなふうに、尊い器を使える幸せを、日々感じている。

書・文・松杏
子供の頃から文字を書くのが好き。小学生で習っていた書道を40歳過ぎて再開。文字の美しさ、墨の表現力に魅了されている。
書と整理収納の共通点は余白とバランス。

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