誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。
今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、ユング心理学をベースにした夢分析やオリジナルタロットカード(ROMANSEA TAROT)を用いた心理分析、アート活動をされている露生万夢さん。生き抜く力にあふれたお祖母さまが作るあの食べ物についてうかがいました。
-- 万夢さんの忘れられない味、食べ物は何ですか?
露生 わが家は特に食事にこだわる家ではありませんでした。その中で今回は、101歳1カ月と1日生きた祖母のお話をしたいと思います。2月2日生まれで3月3日に亡くなった父方の祖母は、とても生命力あふれる人でした。
祖母は普段は嫁に任せて全く料理をしない人。そんな祖母がこれだけは作ったというのが、手打ちうどんとぼた餅や柏餅。とくに柏餅が絶品でした。
-- 5月5日の節句に食べる柏餅のお話、詳しく聞かせてください。
露生 祖母の作る柏餅はとにかく大きくて肉厚でした。白いお餅の部分って、売っているものは薄いなあと思うんです。祖母が作ってくれたのは包子みたいに厚みがあって、中には水気の少ない粒あんがたっぷり入っていました。
その柏餅がとってもおいしいので、5月5日は柏餅を3個も4個も食べちゃって、ご飯が食べれなくなるというのが定番でした。お彼岸のぼた餅も同じように、おいしくて何個も食べてしまうんです。
祖母は不思議な人で、霊感がある人でした。例えば、「今日誰々が死ぬよ」と縁起でもないことを言ったりする。そうすると、近所の人が本当に亡くなるということがありました。祖母が大丈夫だといえば持ちこたえるということも何度もあったんです。
わが家には仏壇と神棚とお稲荷さんがありました。特に祖母はお稲荷さんに守られてると言われていて、実際に「今日は家の梁を背中に丸が二つついている2匹の狐が走ってたよ」なんて言ったりしていたのを聞いたこともありました。
-- 万夢さんとのつながりも予感してしまいますが、お祖母さまがどんな方だったかもう少し詳しく教えてください。
露生 祖母は某村の豪農の家に生まれました。初代村長の娘で、いわゆるお嬢様です。こんな逸話があります。ある日、祖母の夢の中に子どもをたくさん連れて住むところがない若い母親が出てきました。それは実は狐で、祖母はその母親と子どもたちのために祠を建てたのだそう。そのお礼に狐に守られているのだと祖母はいうのです。だから祖母は「私は一生、生きる」と言っていました。一生というと永遠みたいに聞こえるかもしれませんが、後から考えると一生っていうのは人が生まれてから死ぬまでのすべての時間のことなんですよね。つまり、祖母の一生は101歳1カ月と1日でした。
祖母は誰に対しても媚びないし、正々堂々としていました。お嬢様で、あの時代にしては珍しかったと思うんですが、夫に仕えるようなことも全然しなかったです。そして絶対に自分の意見は曲げない人でもありました。祖母自身はお金を稼ぐ手段を持っていなかった。でも専業主婦という雰囲気はまるでなく、お茶も淹れませんでした。私の母が嫁に来てからは、家のこと、身の回りの事は全て母がしていました。それなのにうどんとぼた餅と柏餅だけは作っていたんです。
-- お祖母様が柏餅を作る日は、朝から特別な一日ですね。
露生 そうだったと思います。着物を着て、前掛けを着けていた祖母の姿を記憶しています。普段は本当にあまり動かない人なのに、柏餅の日はきびきびと動いているのが印象に残っています。
-- 味の決め手はお祖母様が? 美味しさの理由を分析するとどんな感じでしょうか。
露生 味の決め手はもちろん祖母でした。何がそんなに美味しかったのかなぁ? 決して繊細な味というわけではないんですよね。小豆と砂糖の配合なんでしょうか。水分が少なめのあんこで、小豆が濃いというか。周りの餅もベタベタしてなくて食べ応えがあったし、それを本物の柏の葉で巻いていて。今考えると大きな鍋でたくさんの量を作るのが良かったのかもしれません。本家でしたし、たくさんの人が集まる機会も多かったので、大量に作るということには慣れていたのだと思います。
-- 5個も6個も美味しいおいしいと食べる万夢さんをみてお祖母さまはどんなご様子だったんですか? お祖母様には特別可愛がられたりされたんですか?
露生 それがね、気が合わないんです、同じタイプだから(笑)。祖母が私に、お茶を淹れろ、これしろ、あれしろと命令する度に、「なんで私がやらなくちゃいけないの!」と私だけは言うことをきかない孫でした。この私を使うなんて!! と思ってましたから。そうやって反抗すると祖母はすごく怒って、私のほっぺたをつねろうとするから、私はさっと逃げて距離をとる。男1人に女3人の姉妹でしたが、言うことをきかない私は可愛くないの。お小遣いも私にはくれないなんてこともありましたよ。
-- でもお小遣い欲しさに言うことなんか聞くもんかという感じだったとか?
露生 もちろんです。大きくなってからも祖母がネックレスを姉妹や従妹に買ってくれた時にも、私だけには買ってくれなかったなんていうこともありました。晩年、祖母のそばにずっといた伯母に、「おばあちゃんはすごく姉妹を差別をしていたよね」と私が言うと、「あなたは自分で買う力があるから、買わなかったのよ」と言われたことがありました。そういう人だったんです。祖母には祖母の考えがあったということでしょうか。
振り返ってみると祖母に限らず家族も皆、私がやりたいことを止めたりはしない、そういう方針でした。だから私は自由に好きなことをやれたし、例え止められてもあきらめたりはしなかったと思います。うーん、やっぱり祖母と私はどこか似ているところがあったのかもしれません。
-- そんな万夢さんが特にこれがやりたい! と思って実行したことはなんですか?
露生 会社員時代はよく働き、よく稼いでいました。そのお金を海外旅行に使いました。
初めて行ったのは22歳の時のヨーロッパ。1ドルが360円の頃、とにかく海外旅行が流行っていた時代です。でも実はヨーロッパは私にとってはさほど面白くありませんでした。
次に行ったのがアフリカ・ケニアです。これがすごく面白くて、それからケニアには5回も行きました。特にアフリカの色に魅せられたのです。自然の色がとにかく美しい。緑も濃いし、夕日も大きいし、虹はさえぎるものがないから円で見えるんです。
次に魅せられたのはダイビング。世界中の海を潜り、その広さと色、魚たちに魅せられました。
結局、世界45カ国を旅して建築物、美術館や調度品などすばらしいものをたくさん見ましたけれど、私は特に地上と海の広さや美しさに魅せられました。その頃の私は祖母から見たら「好きなことを勝手にやってる子」だったようです。
-- そんなお祖母さまが天寿を全うされたとき、万夢さんの中にはどんな気持ちが芽生えたのでしょうか。
露生 立派だなと思いました。自分を貫き、ありのままに生きた。お嬢様気質だったと言いましたが、自分が置かれた環境で生き抜いて101歳1カ月1日で老衰で亡くなりましたから、ただただ拍手です。
実は最後に高熱を出して救急車で運ばれる時に、「あたしゃまだ死なない」と言ったそうです。そしてこの姿で病院に行くのは恥ずかしいから、ダイヤモンドの指輪をつけていくと言って、最後まで周りを振り回しました。「まったくお前たちは気が利かないんだから……」と怒鳴り散らし、ひとしきり怒った後にスース―寝ちゃって、そのまま亡くなったんです。祖母のお葬式には親戚一同が集まり、にぎやかな場になりました。生きる力にあふれた祖母の最期を知ってあやかりたいねと皆、笑顔でした。
-- お祖母さまの柏餅を食べていた万夢さんにも、きっと生きる力が注入されていますね。万夢さんが手掛けられている夢分析やロマンシータロットでは、「自分の想い」を引き出すことを大切にされているとうかがいました。
露生 はい。自分でも気がついていない想いや言葉を引き出して、その人らしく生きていくことをガイドしています。生きれるかそうでないかではなく、生きたいのか生きたくないのか、決めるのはその人自身。人生の重大な出来事に出くわしたら人は必ず自分と対話をする生き物なので、夢分析を通じて自分と対話できると皆さん、元気になるんです。祖母が、私を放っておいたのも、自分で決めるとわかっていたからなのかもしれません。
-- お話を聞いて、お祖母さまの柏餅を食べたかのようにパワーをいただきました。痛快なお話の数々をありがとうございました。
イラスト/Miho Nagai
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露生 万夢(Mamu Tsuyuki

