誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。
今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、世界的イラストレーターの飯田淳さん。子どもが苦手な野菜の上位にランキングされるあの野菜が大好きになったあの日、あの頃についてうかがいました。
-- 世界中でたくさんの美味しいものに出会ってこられたと思いますが、忘れられない味で思い浮かべるものと言えばなんですか?
飯田 誰でも少なからず苦手な食べ物ってありますよね。僕は今は基本的になんでも美味しく食べるんですが、子どもの頃は苦手なものがありました。オーソドックスではありますが、ピーマンが苦手だったんです。
-- 子どもの苦手な食べ物で常に上位にランキングされる野菜ですね!
飯田 給食にも出たりしていたかな、全く食べられないというわけではなかったけれど、どうにも美味しいと思えなかった。考えてみたら昔の野菜って今よりクセがあるし、特に緑の野菜はピーマンもほうれん草も、あまり子どもが好んで食べる味じゃなかったでしょ。
-- 苦かったり、青くさかったり。
飯田 そう、だから家庭でも食卓にあまりあがらかったような気がします。
1964年、東京オリンピックが開催された年、僕は小学3年生でした。その年の夏休み、妹が入院することになり、僕はおふくろの実家である祖父母が暮らす家、信州・諏訪湖のほとりにある岡谷に約2週間預けられたんです。
諏訪湖周辺は、2023年に公開された映画『怪物』の舞台になった場所です。
祖父母の家には毎年夏に遊びに行っていたので、一人で預けられることになっても平気でした。むしろ嬉しくて仕方がなかった。
-- 寂しいより嬉しいが勝ったんですね。
飯田 最高でしたよ。近所の子たちとはすぐに仲良くなって、プールに行ったり、みんなで集まって野球をしたり、缶蹴りをしたり、花火や爆竹もし放題。とにかく自然が豊かで、虫やカエルも捕り放題。勉強のべの字もない、超解放された最高の夏休みだったんです。
田んぼの稲が風でビャーッと波打っていた岡谷の情景を今でもはっきり憶えています。
-- 小学3年生の淳少年の夏休み。名曲「少年時代」のメロディーが聞こえてきそうです(笑)。
飯田 祖父母は岡谷に2人で暮らしていました。おばあちゃんといっても、当時まだ40代後半でした。とにかく東京から来た僕を可愛がってくれたんです。
そのおばあちゃんが作ってくれるある日の夕食が、ピーマンの肉詰めでした。
不思議なことに、それまで好きじゃなかったピーマン料理なのに、食卓にそれが乗った皿が出されても「うわっ、ピーマンだ……嫌だな……」とはならなかった。
そして、食べたらめちゃくちゃ美味しいんです。こんなに美味しいものをなぜ嫌いだったんだろう? とパクパク食べて、以来、ピーマンの肉詰めが大好きになりました。
-- なぜ、苦手が美味しい→大好きに変わったのだと思われますか?
飯田 一つは先ほど言ったようにとても解放された環境の中で、一日中体を使って遊んでいたからだと思いますが、とにかくご飯が美味しい! 凝った料理とか味付けである必要はなくて、たくさん遊ぶ→お腹がすく→ご飯が美味しい……そういうシンプルなことだったんだと思います。
そしてやはり信州の野菜が新鮮で美味しいんです。おやつには茹でたトウモロコシ、スイカも食べ放題。お米もおかずもどれも美味しかった。
-- ピーマンの肉詰めについて、もう少し詳しく伺いたいです。おばあ様のお料理、なにか特徴はありましたか?
飯田 なにも特別なことはなかったと思います。おふくろが作るピーマンの肉詰めと何ら変わりはない。でも先ほど言ったように、野菜自体が美味しいんです。田舎ですし、当時は今のように毎日のメニューが豊富だったわけでも、特別なレシピがあったわけでもありません。
でもその新鮮な野菜からジュワッと出る水分と、ひき肉の脂に醤油が混ざりあってなんともいいおかずでした。下にはキャベツの千切りが敷いてあったりしてご飯が進みます。食べたのは肉詰め4つ、ピーマン2個分くらいでしたかね。
-- おばあ様はどのような方でしたか?
飯田 長野県上諏訪で生糸の会社をしていた祖父と結婚した木曽福島出身の祖母は、とても明るい人でした。母の父親、僕にとってのひいおじいちゃんがとてもユニークだったみたいで、夏は暑いからと木曽川にかかる吊り橋の上で家族5人で横になって寝たんだよ、なんて話を聞かせてくれました。ひいおじいちゃんが写った写真を見せてもらった時、なぜかとても身近に感じたことも覚えていますね。とにかくおばあちゃんは冗談が好きで、辛いことはあまり言わず、笑い飛ばす感じ。よく人を笑わせていました。
-- 苦手だった野菜の美味しさに目覚めた小学3年生。飯田先生はどんなお子さんでしたか?
飯田 ちょうど絵画教室に通い始めたのがその頃です。下北沢の隣駅の池ノ上に「小さい画家たちの家」という宮脇公実さんが主宰していた児童絵画教室があって、同級生の武藤くんから一緒に行かない? と誘われたのがきっかけでした。毎週土曜日に通っていたその絵画教室はとてもユニークでね、例えばある日のテーマは「台風」。そのテーマ以外は何も制約がなくて自由に描いていいんです。
お盆に草が無造作に置いてあって、そこに這っているカタツムリを描きましょうという日もあったなぁ。テーマが毎回面白くて夢中になったのを覚えています。
初めは絵の教室と聞いたから、学校の図工の授業の延長のようなものかと思っていたら、とんでもない。主宰の宮脇先生というのは、抽象画の大家だったんです。
僕らはいつもB3ぐらいの画用紙に色々な絵の具で自由に描く。先生は先生で油絵なんかをそこで描いたりしていたかな。 指導というか僕らの面倒を見てくれる若い人もいっぱいいましたね。美大生だったのかな?
「出来ました!」と持って行くと先生が「あ、いいね!」と言って、後ろに日にちを書いてくれておしまい。
それが終わると子どもたちは3畳ぐらいの部屋に行けるんだけど、その部屋にはズラリと少年サンデーなどの漫画が並んでるんだよね。
その部屋にはラムネや駄菓子も置いてあって、それを飲んだり食べたりしながら僕らは気が済むまで漫画を読めた。
庭には立体の彫刻や、抽象的なオブジェみたいなものなど、宮脇先生の作品がいっぱい置かれていました。
僕らが描いた絵は、1年間分をまとめてクリスマスの時に一つに綴じて持たせてくれました。その作品集は今でも持っていますよ。
-- なんてすばらしい体験なのでしょう! ドラマや映画で描かれる世界のようです。
飯田 その頃のひらめき、絵に対する感覚ってすごいものがあったと思います。自分にとっての原点にもなっていると思う。ちょうどそういう時期に苦手だったピーマンが食べれるようになったというのは、僕の中でこれまでになかった感覚を受け入れるような何かが出来始めた頃だったんじゃないかと思うんです。
東京オリンピックがあった年。東京もどんどん変わっていた時です。自宅から歩いて行ける距離に代々木公園があって、そこからオリンピックのスタジアムが見えて、道路がすごく綺麗になった。たくさんの外国人が街を歩いていて、国際色に溢れていましたし。
-- 小学3年生の夏から秋にかけて、いろいろな扉が一斉に開いたようなタイミングだったのですね。
飯田 よく、「もしも戻れるとしたらいつの時代に戻りたいですか?」と聞かれることがありますけど、僕は迷わず「小学3年生」と答えます。おじいちゃん、おばあちゃんの優しさ、田舎の友だちの明るさ、同級生と共に好きな絵を描く楽しい時間、そういうもののありがたさに触れられた時期だったと思えるから。
-- ちなみに、おばあ様のピーマンの肉詰めはその後も召し上がる機会はありましたか?
飯田 もちろん! 高校生の頃までは毎年春と夏の休み期間になると信州に遊びに行ってましたので、毎年のように出してくれました。リクエストするというわけではなく、黙っていても夏野菜の美味しい時期のメニューとして食卓に出てきました。
あれ以来、好物になったピーマンの肉詰め、僕も作れますよ。合い挽き肉ときざんだタマネギを混ぜて……(以下、手順を基本に忠実なレシピで披露。さすが、ちゃんと料理をされる方の手順です!! ちなみに得意料理理は生トマトのパスタだそうです!)
祖父母の家は、今はもうなくなって空き地です。中央線に乗ってスキーに出かける時、その辺りを通るタイミングでデッキに出て祖父母の家があった辺りの空き地を眺めます。おばあちゃんが畑を借りて枝豆やトウモロコシ、スイカなど野菜を作っていたことを思い出したりして。畑のお世話を手伝ったのもいい思い出です。
-- 飯田先生の脳裏には、さまざまな夏の色や景色が鮮明に残っているのですね。体験と味の記憶、そのつながりがとても印象に残りました。ちょうどこれから夏野菜が美味しくなる季節ですね。7月に開催される個展も楽しみにしております。
イラスト/Miho Nagai
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飯田 淳(Jun Iida

