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アンドレがくれた恋

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

「元気ですか?」の文字で赤いタオルが見えてしまう私は、そう、幼い頃、プロレスを見て育った子どもだ。
ちょうど先日、「一番初めに観て記憶しているテレビ番組って何?」という話になって、
明解な答えが出せなかったということがあった。

私にはチャンネル権がなかったのだ。
少し歳の離れた兄が2人いたので、基本的にゴールデンタイムのチャンネル権は兄たちにあったのだと思う。
プロレスは金曜日の夜8時の「ワールドプロレスリング」を見ていた。

アントニオ猪木、藤波辰爾、坂口征二、初代タイガーマスク、長州力、
ハルク・ホーガン、スタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、キラー・カーン
レフェリー ミスター高橋、
もうこういう名前がスラスラ言えるくらいだ。

その後、プ女子になったかと言えば、そうでもなく、格闘技系を見ることは今ではほとんどない。

チャンネル権がない=(イコール)ほかの選択肢がなかったから見ていただけなのだが、
見たくないから自室にこもるとか、代わりに本を読んでいるとかいうのもなかった。
なぜ熱心に見ていられたのかといえば、つまりあの頃のプロレスのエンターテインメント性に惹かれていたのではないかと思う。
ちょっと無理くりすぎるだろうか。

でも幼心に、あの場には真剣なショーというものが展開されていることに、ちゃんと意識はあった気がする。
だから、すぐに場外に出て、ぐちゃぐちゃっとなる展開にはブーイングを出していた。
幼いながら。
それもちゃんと仕掛けであったことが今になればわかったりもするけれど。

プロレスには、ほんのり甘酸っぱい記憶もある。

アンドレ・ザ・ジャイアントというプロレスラーがいた。
身長223㎝で「人間山脈」とか「一人民族大移動」とかいうキャッチフレーズをつけられていた。実況はもちろん古舘伊知郎さん。
とにかく大きくて、見たことのない大きさで、アントニオ猪木さんの顎が気にならなくなるほどだった。(そんなこともないか)

リングに入るときはロープの一番上と二番目をびよーんと広げて体をかがめてリングインするのが普通なのだが、アンドレは、大きくて脚が長いので、リングの一番上をそのまままたいで入るのが常だった。
それを初めて見た時「うぉーーーーっ」となった。会場もテレビで見ていた私も。

ある日の学童保育でのこと。女の子たちの中でゴム段(ゴム飛びではなくこう呼んでいた)はずっと流行っていて、その日も楽しんでいた。
ゴムを腰の位置に設定する四段は、定番の遊び方の中では一番高い段だった。
小学生ですでに背が高かった私の四段は、まあまあな高さだったと思う。
リズムに合わせて歌いながら振付けみたいに飛ぶゴム段が大好きで、
とにかくたくさん練習して、家では椅子を2つ置いてそこにゴムを掛けて自主練した。

学童の庭でそれをしていた時、一つ上の男の子が、四段のゴムをガッとまたいだ。
女子の遊びに「こんなの簡単じゃん!」的に茶々をいれた図だったろうか。

「アンドレ・ザ・ジャイアントじゃないんだから!」と私がツッコミを入れた。
「え、なんでアンドレ知ってるの?」
「プロレス見てるもん……」
そんな会話だったと思う。

四段のゴムをガッとまたいだその男の子は、私の初恋の相手だったので、
しばしそこで会話が成立したのがとても嬉しかった。
しかも、その会話に入ってこられるほかの子はいなかったから、一目置かれた気になって
ふふふーん、となったのだ。

ありがとう、アンドレ。
猪木たちの強敵、圧倒的悪役として登場していたアンドレ・ザ・ジャイアントを、
以来、私はそう嫌いになれなかった。